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女川原発再稼働に同意した村井知事と亀山市長の「前科」

村井知事、再稼働を支持「事故がダメなら乗り物も否定」
https://digital.asahi.com/articles/ASNCC76WFNCCUNHB007.html?fbclid=IwAR2-9WB72tiWqWweqdx3izx5p98eJ_z7iCDon6DPgL1-T0I2D1-o7qRqfZc
 
「原発がある以上、事故が起こる可能性はある。事故があったからダメとなると、すべての乗り物を否定することになる」には唖然とさせられた。この言い回しは、事故後に原発推進者でさえ恥じて口にすることのなかったものだ。

この知事さん、福島の事故から何も学んでいないどころか、原発についての知識のなさ、意識の低さを自らさらけ出してしまった。

さらに「再生可能エネルギーで日本のエネルギーがまかなえる技術に達する高みを目指すために原発は必要」などと、とってつけたような思いつきを並べる始末。

原発事故が起これば、目指すべき「高み」などこの国から消えてしまうだろうに、子供でもわかる理屈までは思い至らない。

こんな知識も思考力もない頭の持ち主が再稼働を同意することは、とりもなおさず原発を再稼働してはならないことの証しでもある。

この村井知事が会見席で石巻の亀山市長と並んでいる姿から、彼らの「前科」を思い出してしまった。

大川小学校の判決

東日本大震災の津波で、大川小学校(石巻市)の児童70名が死亡、4名が行方不明となった。遺族はその真相の解明を求めて2014年3月に裁判を起こし、昨年10月最高裁で勝訴が確定した。

だが、なぜ5年間も最高裁まで争わなければならなかったのだろうか。

判決は、マグニチュード8.0の宮城県沖地震を宮城県は2004年に想定しており、その想定をもとに適切な「備え」をしていれば大川小の児童は「救えた命」であるとした。

この判決に対して、石巻市と宮城県は、東日本大震災は想定を超える天災であり、その責任まで負えるものではないとして上告。

だが、判決が「備え」をすべきとした震災は「県が想定した宮城県沖地震」であって「東日本大震災」ではない。市と県は判決のこの要旨を思い違いをしていたのだ。(※)

その「思い違い」によって、児童を亡くした遺族の悲しみに向き合うことをせず、責任回避に動いた。マグニチュード8.0の宮城県沖地震を想定しておきながら「東日本大震災」は想定外というのでは筋が通らない。最高裁が上告を退けたのも当然だろう。

村井知事の冒頭の言葉は、女川原発再稼働の同意もまた「思い違い」にすぎないことを示している。この知事はまた同じ過ちを繰り返すつもりなのだろうか。


(※河北新報社報道部『止まった刻 検証・大川小事故』)
https://www.kahoku.co.jp/special/kyokai/

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