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長寿と死に方、思い込み

 昨日、NHK大河ドラマ「”青天を衝け”の最終回、ついに主人公渋沢栄一の御臨終場面、92歳とか、昔風の大往生、老衰といわれても頷ける。

 私の思い込みでは、人は、それぞれに癌や脳梗塞などの病気、交通事故などの不慮の急死、そして老衰などの高齢化の極みで死ぬかと思い込んでいた。身近な親類も、年の順番に亡くなっていった。

 しかし、私の両親、妻の父親を見る限り、それなりに病気はあった。死ぬ前の十年近くは、認知症の進んだ、植物人間状態であった。胃ろうとか経管給養でいのちながら得た。とても延命措置はやめるというのは、最後の最期まで、医療からの問いかけはなかった。いわゆる重篤な危篤状態で、問われた。つらい判断ではあった。

 自分のとき、どうだろう。もう判断力はないだろうし、家族の負担が大きくないのであれば、それもいいかと思ったりする。自宅で看取るなんていうが、家族は大変だろう。まだ、それなりの判断力や意思があれば、できれば、そのまま生かし続けてほしいとは思う。それも状況次第だ。

 まだ判断つきかねる。

 自殺なんてしようとは思わない。

 先の事はわからない。どうしよう。今考えることでもない。先送りだ。

あとは家族にお任せしよう。

 昔、室町幕府4代将軍足利義持公、死に臨んで、後継者、次の将軍はと聞かれたものの、指名はなかったと。以前は、無責任なと思ったが、どうしようもないこと、残ったもので決めよってこと。結果は、くじ引き。それで決まった第5代将軍足利義教公、織田信長に比される独裁者、あげくは信長と同じように部下に惨殺された。

 死は、残った者の世界を大きく変える。この場合は、仕方ないだろう。

 もうどうしようもない。

 昨日の渋沢栄一の死に様、ドラマの終わり、いろいろ考えた。

 永く生きて、認知症になって、意思も薄くなって、時々自分が出てくるなんて状態になって、死がどういうものか、わからなくなるまで生きるか、さっさと死ぬか、難しいところだ。

 あと19年したら、どう考えるだろうか。

 みんな死ぬんだから。時々は考えよう。

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