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noteは、やはり夜に書くか

 年金生活者、無職とくれば、なんとなく、ひがな一日、まったりと暮らし、なにすることなくボーっとしていると感じる。
 あれやこれや、突きたがると、一日があっという間に過ぎる。
 今日も今日とて、昨日、図書館で予約確保済みの図書を受け取り、まだ2冊借りられるとのこと、制限貸出数20冊を維持している。夜、図書館のホームページを見ると、貸出期限が当日の本が一冊あり、翌朝、大慌てで返しに行き、更新手続きをとった。ポカである。思い込みが原因である。
 粗忽、反省も後悔もない。
 このnoteも、一日1本で、ずっと続けようと心に決め、一度は、100日を継続したものの、ふっと失念した。また再開し、昨日50日を経過した。忘れないうちに、午前中に書いちゃおうとしている。
 なんか気分的に、午前中は、まだまだ、その気分になれない。
 奥様の家事手伝いや昼寝、外出や散歩、あれこれと忙しい、落ち着かない。ADHDそのもの、注意欠如・多動性障害、ひたすら忙しがる、現役時代は、それでもよかった。「すぐやる。」、「あれは、これは」、仕事だから、早く片付ける。仕事の一つのやり方、ほっておくのもいいが、ことによりけり。遊んでいるのかと言われたり、拙速を尊ぶほうだった。
 いま、午後9時24分明らかに、夜だ。さっきまで次女の誕生日パーティー、幸いにも、スープの醒めない距離、車で10分ぐらいの場所に住んでいる。孫も来て、大騒ぎ、終わってやっと、一日の反省と振り返りの時間だ。
 こんなときに、noteを書く。
 反省と明日への展開を考える。
 そうしょっと。

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