関ケ原、もう一度行って見たい

 もう2年前、西国巡礼で岐阜県へお参りした帰り、関ケ原合戦場をレンタルサイクルで回った。もう午後3時過ぎ、三成の笹尾山陣地あとから始めて、小早川義秋の松尾山、大谷刑部の陣地跡など、可能な限り走った。もう60歳過ぎているけど、気分は10代半ばの、まだ歴史のすべてに憧れと興味と関心を持っていたころに戻った。あれから50年が過ぎ、いまやっと関ケ原、何度も何度も通り過ぎた。新幹線で修学旅行、大学受験、その後、仕事について、出張で東京やその周辺などなど、多方面に旅行したのに、いつも素通り。富士山も、新幹線の窓、飛行機の窓から眺めるばかり、やっとリタイアしてから、二度登った。一度は夜、一度は昼。夜のが楽、でも昼の方が醍醐味。苦しくて、何度も横になり、相前後する人も同じ有様、やっと頂上へ、爽快な気分。

 関ケ原へ戻る。誰もいない。テレビや本で、いろいろな話、ちょっと考えられない。小早川秀秋、どっちにしようかなって思っても、見えない。全貌は大体わかるが、どっちが優勢か。細い道で、トップだけが上の方にいても、結構、あぶなっかしい。主力部隊は平地だろうし、目前に大谷部隊がいただろう。表向きは西軍なんだから。何千人が食料・弾薬・武器を持って動くのは大変さろう。無線も報道もない時代に、徳川家康が下から鉄砲で、参戦をせかした、あれはない。そんなに近くない。現代のミサイルなら遠方から打ち込むことも可能だけど、せいぜい500メートルちょっとの鉄砲で無理。話半分、作り話だ。すべては過去の闇の話、明智光秀は誰に唆されたかと同じ類の話。兵どもが夢のあと。

 午後5時には、レンタサイクルを返さないと、大急ぎで駅前へ。腹が減っても店はない。ようやくコロッケ屋さん、お願いして、できたちを調理してもらった。愛想のいい人だった。いい思い出。

 関ケ原から電車に乗って、明石の自宅へ帰った。青春18きっぷ、有効活用、もうすぐだ。コロナも終息、オリンピック開催、その後はどうなるか。自民党総裁選か。菅総理、次は河野さんかな。もっとパーフォマンスを、でないと、日本が滅ぶ。目だとう。ひっそり静かにしておれば食べられちゃう。誰が喰うか、そんなもん。って言われそう、いまの日本。

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