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うつ状態だったのかもしれない。

 今年3月母が死んで、早や7カ月になろうとしている。母は、すでに、享年95歳、かなり以前から認知症の傾向が出始め、その頃、父の立てた戸建て住宅で一人住まいしていたのを、弟が自分の住む下関で一緒に介護したいと言い出して、了解した。しっかりものの母は、あまり理解せぬまま、もう年齢が80歳代なかばで、蓄えた貯金と自宅の相続を弟に渡して、行った。しかし、ごく短期間で元へ戻った。独身の弟では、仕事もあり、実質的には放置・ネグレクトに近い状態で、すぐ帰ると言い出したそうだ。

 結果的には、すべては弟の計画どおりだった。

 郷里の高松へ帰っても、元の自宅は解体、駐車場にして、貯金は、すべて自己管理。金融関係に勤めている弟にとっては、相続処理は、当然のことでった。私自身、金は要らないといいえばウソになる。しかし、母の金を持って、介護するには、私は単身赴任、4人の娘は結婚して独立したのは1人、あとはまだまだ。そんななか、仕事は、公務員でありながら、不祥事や困難な状況ばかり。定年前なのに、大変だった。とても、自宅に母を読んで介護する状況ではなかった。

 ホーム(施設)、病院と入所・入院が続く中、コロナ蔓延で、面会もできず、元々意思疎通はできない病状、植物人間だった。当初、点滴が要ろうなどの延命措置に変わっていた。

 月1回程度、面会していた。ほとんど無反応。死んだこと自体は、もう完全に読み込み済みで、なんなショックもなかった。葬儀が終わって、さまざまな手続きや処理を行っていくうち、弟は、かなり以前から、相続処理を計画していたことが、だんだんわかってきた。

 特に、銀行、証券会社、保険会社、当然、お手のものであった。

 もうだめだ、無理と認識し、さっさと相続放棄した。テレビによく出る森永卓郎著「相続」は、大変、参考になった。

 それやこれや、それなりに平静は保っていた。しかし、生活面で、なぜか午後9時には眠くなる。酒か?と疑い、断酒した。時々飲むが、基本的は、飲まない。食事も減らした、すぐ眠くなる。そのまま朝になれば、問題ない。夜中に何度も目が覚める。3時ごろから覚醒し、いろいろ考えてしまう。まぁ、それなりに普通だった。

 しかし、やはり変。昔の知り合いと、たまに会うと、後輩の何人かがうつ病で退職や休職になっていると、全然、うつ病とは正反対の人も。打たれ強く、口八丁手八丁のひとが。次々と。

 この半年、コロナのおかげで自宅に引きこもりが多い。フレイルもある。弟とは絶縁と決めた。盆も過ぎ、お墓のこと、法事や祭祀のこと。すべて弟へ。少し気になることもある。これ以上、落ち込むことは、自滅しかない。

やんぬるかなである。是非もない。

うつ状態から脱しよう、そう決めた。そのとき、頼りになったのは、40年連れ添った妻である。よくぞ、ついてきてくれたと思う。

 次に、うつになりかねないのは、妻に先立たれたときであろう。

 それは、嫌だから、妻より先に死のう。

 

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