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巡礼の思いで 四国遍路 その1

 四国高松の生まれである。お遍路さん、一つ間違えれば、乞食を意味する”へんど”、よくわからないまま、ずっと一度は行ってみたいとおもいつつ、時を過ごす。

 敢行したのは、年齢63歳過ぎて、エッセンシャルな公務員を再任用も途中で抜けて、大学への再就職(まったく縁故なし、ハローワーク―で、お宅なら向いてんじゃないかな、なんて言われて受けた。)、授業料免除や大学学園祭の担当、なじめず1年足らずで退職した。

 もとは大学中退で、大学への憧れもあった。やっぱり合わんのだ。

 ときの総理大臣の安部さん、65歳までは働けの大号令、年金は、60歳から貰えた、ただ、再任用までは、受給辞退かもらえなかった。それはそれでいい。元気いっぱい、山っ気もたっぷり。男ばっかりの職場をずっと闘い続けてきた。大学学務課は、課長以下女ばかり、ちょっと居心地が断然、違っていた。その思い出も、いつかnoteで書いてみたい。

 さて閑話休題、

 思い立ったが吉日、アルバイト、4日に1回夜の電話番、元の職場で、知り合いも、まだ結構残っていたし、かって知ったる職場、責任は、まったくない。

 トータル3回回った。1回目は、車。最初は、奥様同伴であった。気乗りがしないようで、途中から、一人旅。どうせ運転は、私がやるし、奥様の嫌がるのは、石段、それもたくさんの階段、曲がりくねり、大きい小さいの、怖いの、何か出てきそうな感じもあって、ついに一人旅。

 今日は、第1番霊山寺、資料も図書もなんんもない。あるのは、ただ記憶だけ。日記もあるが、探すのが大変。おそらくは、処分している。そこら中、ゴミだらけは避けたい性格なんです。

 2回目は歩き、JR四国坂東駅で降りて、春ごろの雰囲気だった。背中に、平安時代を思わせる籠を背負って、遍路行のプロ遍路さん二人、かの有名な先達か、地方の街並みを歩く、民宿もあり、それなりの雰囲気。

 それらしいお寺の門がある。大きな遍路相手のお店、そこで杖と納経帖を買って、スタートした。まだ、スマホもカメラも持たない。そこら辺の普通のおっさんスタイル、でも誰も気に留めてくれない。

 ひたすら大師堂と本堂をお参りして、納経帖に朱印してもらうだけの、スタンプラリーに終始、たまたま一緒の宿坊で話し合っているうち、いろいろ作法もあるらしいと気づいたけど、意に介さず、ひたすら歩いた。

 スマホデビューも、このとき、たまたま同じころ、同じペースで歩いていた20代後半の女性、こっちは地図どおり一般的コース、遍路道歩いているのに、途中ではぐれ、着くと、彼女は御寺で般若心経を読経していた。

 よく考えると、スマホで最短コースを歩いていたのだ。

 もうスマホに変えようって思った。

 文明の利器だ。

 1番札所霊山寺の思い出、いまのところ、そのくらい。

 また今度、明日は明日の風が吹く。

 なお、このときの朱印帖は、昨年亡くなった母の棺に入れました。

別に真言宗ではありません。母も、それは全然気にしない人です。

四国では、弘法大師は、キリストや孔子と同じレベル、聖徳太子級の偉い人です。

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