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近所つきあいは難しい

 いまの住居に住んで18年になる。転勤族だったので、私自身は、半分の9年ほど。最近になって、定住している。勤めを辞めて年金生活者、68歳であり、もう普通のサラリーマンはしたくない。何か特殊な仕事があればやるが、もうないだろう。死ぬまで自宅で悠々自適の生活が続く。私自身は、それは半分望むところ、家族を含め近所の方々等は、どっかいけばいいのにと思っていることだろう。

 特に、近所づきあい、単身赴任で、入居した当時の人でも、かなり様子が変わっている。こどもがいるやいないの時期から、大学・就職などに成長しており、まったく状況は変化している。

 その変化に対応しきれない。

 小さなこどもなら、かわいい、なにして遊ぼうが害はない。小学生ぐらいから、ボール遊びやボード、たまたま区画が袋小路で、市道は立派にあるものの、遊び場のようなもの。昨年までは、運動場のようなものだった。バスケットボールが飛んでサッシに当たったこともあった。車には、なにかボールの跡が残っている。ディラーでも消せないほど強烈。

 コロナと子供たちの成長、奥様方のパートで、静けさは戻ってきた。

この夏休みも許容範囲だった。

 本来、なかよくしなければならないのに、一歩間違うと喧嘩沙汰。利害が錯綜している。昔、犬を飼っていたが、朝から煩いと投書、家族に被害が及ぶので、犬は実家の母に渡した。その投書の主は、いま犬を飼って、そこら中、毎朝毎晩、マーキングさせている。神経質かもしらない。毎日同じところに犬がションベンすると、確実に、その場所は臭くなる。通行人を含め、周辺住民全体の迷惑行為なのだ。

 その犬ショウベン係の子供たちもだんだん大きくなって、その雰囲気を理解し始めた。悪いのは大人。自分さえよければいいの一存。

 だから戦争もなくならない。コロナもなくならない。交通事故もなくならない。みんな不届きな親が悪い。

 その人達と、どう向き合うか。それが問題だ。

 写真は、夾竹桃、一週間前にネットで購入した。相性がいいのか、どんどん大きくなってくれる。隣との境に樹木を植えた。

 見たくないんだ。

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