もっともっと勉強しなくては、デタッチメントって、まだ、よくわからない
私、つい最近、知ったばかりで、ずっと前から持っている『広辞苑』では載ってない。2022年版『現代用語の基礎知識』にもない。スマホで、ググると、「ノンアタッチメントともされ、ヒトが世界における物事、人物、価値観への愛着欲求を克服し、それによってより高い視点を獲得するという概念である。」
たまたま、村上龍の『半島を出よ』という小説、これ自体は面白かった。ついでに、ひょんなことから、かの高名な村上春樹氏の小説をまったくよんだこともないので、「色彩を持たない多崎つくると、彼の十んレイの年』と村上春樹の解説書「村上春樹は、むずかしい」を並行して読んでいると、その本の中では、すらすらと、このアタッチメントという言葉が脳裏に入ってくる。
フッと、それでいいのかと、考えてくると、自分で説明しきれない深い理由がありそうだ。なんとなく「優しい社会からの離隔」、社会との不適応を自ら避けるといったニュアンスに感じてしまう。個人的趣味である日本文学での無常観や世間と距離を置くこと、そういったことと相通じるものがある。
定家「紅旗征戎、我がことに非ず」
木枯らし紋次郎「あっしには、かかわりのねぇことでござんす。」
要は、見て見ぬふりではあるけれども、どうしようもない無力感とともに、それらに首を突っ込むことの無意味さを実感、表現する。
ノンポリッテクである。
たいていの人間は、そうなんである。
コロナは、みんな関係している。ウクライナや台湾は、経済に大きな影響、戦争はもちろん、原油高騰などもある。
それでも、みんな結構、無視・軽視である。コロナワクチン、まだ80%を超えない。痛いとか、副反応がとか、そんなことで撃たない人が多い。
いろいろ読書していくと、わからぬことが増えてくる。
それはそれなりにいいことだ。
人生いきているうちに勉強しておこう。いつ死んでもいいように。
元気なうちに、やりたいことをやっておこう。
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