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株式投資を続ける理由^ケチだから

 写真は、かつて父母が自宅を建てて、私も7年間住み、その後、数年前解体した自宅の跡地である。下関へ母を看るといって、連れて行く、すぐ故郷へ返した弟、資産として駐車場に貸している。やっと、その上がりを私の娘にお裾分けするようになった。私の分は私の妻へ(私の意向)。3台分で固固定資産税や不動産屋の取り分など所要経費をひいてペイするものか疑問。賢い?弟だから損はしないと思うが、その概念・基準が違うから別世界の人間かもしれない。

 さて株のお話。株式投資は、その始まりからギャンブル的要素を否定しきれない。保有資産を将来性のある事業や人に投資して、大きくしようとするのが投資であると認識している。もちろん逆の目が出る場合がある。何事も。だから博打である。資本主義ないならず人間世界、なんでもギャンブル、投資である。生まれた時から、親の人柄、財産などなど、それ自体ギャンブルである。生まれるとき、恐れ多くて親を選べない。人間として生まれるのも選べない、人間すべて博打である。

 さて、株式投資そのもののギャンブル性は、私に限っていることは、社会に出てから、社会の厳しさを身に沁みると、思うのは吝嗇、ケチ、倹約節約だ非常に大切であること。予算執行における有効性、経済性はもっとも大事なこと。個人でも、そうである。しかしケチは、自分を抑制する。爪に火を灯して生活する。人に嫌われ、嘲られても、信念を貫き通す。

 株が、私に痛感させたのは、損した時のこと。株は、いま損すると、酷い時は10~20万円一気に一日で評価額が減る、それが毎日ということもある。慣れてくると、そんなこともあるさと達観する。

 それでいい!貯めるばっかりがいいのではない!

 無駄な遣い方でもいい。それを学ぶこと。損することばかりでもない、得することもある。それを突き抜けてこそ、株をする資格があると思うようになった。泰然自若、笑って心自ずから閑なり。平然とすることが大事。負けて元々、人生どうなるかわからない。負けることも多々ある。人生万事塞翁が馬。それを株が教えてくれた。もちろん、少しでも負けないように勉強することが一番大事です。

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