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親友、いれば、ものすごくいい。友人、心安らぐ、時によりけり。友達、無理しない、そのとき気が合う、愉しい

 高齢者と言われる年齢になると、なかなか友人関係は難しい。社会的経験や経済力、地位、家族など多くの価値観のもととなるものが増えすぎてしまっている。人間関係でも、両親、兄弟をはじめとする親類も、大きく変容してしまう。もう過去とは状況が大きく変わっている。

 私個人で言えば、性格的に孤独を好む、自己観念、自分を大事にする、負けず嫌い、誰でもそうだ。自己中心的な判断、思いやりが少なく、他人に厳しく、自分に甘い。どこでも誰でも、そうだ。普遍的に。

 学校時代、好きなことをやりたい、したくないことはしない。体育は暗い、危ない、しんどい、他人に負けても何とも思わない、困った奴、それが私。好きな学科、社会科、歴史・地理・その他ほとんど圧倒的に一番、他人には負けない、にもかかわらず5でないときもあった、教師に対する態度が悪かった。ゴマすりが下手、傲慢。それでも子供か、そんな感じ。

 かけっこ、格闘技滅多に負けない。跳び箱や鉄棒、大嫌い。あほらしい、あぶない、ケガして、先生やめるんか、やめんだろう、そんな感じ。成績なんか、爪の先ほども気にしない、すきなように。

 だいたい、指導に従わない、従えない、できない、しようとしない、そういうのを指導するのが教師だろう、教育。できる、しようとする、これを喜こんでいるのは教師ではない、ただの管理者、そして管理もしていない。ただの勤め人。だから、教員に嫌われた。でも、それでよかった。

 師匠と呼ぶ人は、先生の中にも、何人かいた。もう数十年前だが、心から頭を下げたい。そうでないのも、たくさんいた。どの世界も同じ。

 特に、給料もらって、働いていたときは、上司・同僚・部下、そうだった。利害関係が伴うだけ、その明暗は、明確だった。

 戦場では、命がかかっているだけ、なおのこと明確だと思う。

 だから戦争映画が好き。作り物にしても、リアルだ。

 今、残念ながら、「走れメロス」を地で行くような親友はいない。

 学校・学生時代、仕事関係、いまの地域関係で、友達や友人、気の合う、一緒に行動すると言った人は、そのときそのときでいた。永続き、あるいは長い年月の後、再会して昔話以上の付き合いはごく少ない。

 高校卒業後、郷里を離れて進学、中退後引きこもり、社会復帰、そして再び故郷を離れて転勤を繰り返し、永い付き合いをすることは少なかった。

 心通じるのは、妻と子である。それだけでも救い。

 親友という存在があればいいとは思う。それは絶対的で神のごとき存在、要求水準が高すぎる。いま月を観ると、そういう感じがする。あるいは弘法大師・お大師様である。裏切りや不信感を持つことはない。人間は、人間だ。

 こう考えると、妻は親友というより戦友か。永い苦しくつらい戦いをともに生き抜いてきた戦友だ、大事にしなくては。

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