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高齢者になって、親友とは、果たしてありか?

 私自身、友達は多い方ではない。子供の時から、その時その時、なにかで仲良し、いつも一緒に行動する友達はいた、何人か、あまりカリスマ性を持った方ではないので、集団を形成してボスになったことはない。せいぜい3,4人のグループ、特に上下関係はない。

 社会に出てから、勤務場所が変わったり、結婚したり、状況の変化が結構早かった。高校卒業後、都会へ出た、すぐ中退、引きこもり、社会復帰しても、年上ばかりが多く、その後、また故郷を出て、以前と同じように、同年代の友達はいた、話し相手、一緒に飯を食うという存在だった。

 社会生活や組織の中で、おのずから利害関係ができ、上下関係もあり、心を許せる友人は少なかった。組織・職場における自分自身の性格の狭隘性が原因だろうとは思う。もっと上手に立ち回ることが必要とは思った。

 飲酒や麻雀、ゴルフその他大勢が集う状況をあまり好まず、客観的に言えば、我が道を行く、付き合いの悪い奴を思われていたと思う、実際、そうだろう。理屈っぽいし、素直ではない。悪くいえば、そうなるが、自分自身を守るためには、そうせざるを得なかった。

 いま永年お世話になった公務員を退職し、その後、大学に再就職、アルバイトなどの後、年金生活で、かつての学校時代、職業上での友人たちとは、疎遠になった。転勤が多く、遠方になると、毎年正月の年賀状がせいぜい、それも年ごとに減っていく。

 数年前、地域デビューして自治会長等3年やって、知り合いになって、よく立ち話程度ながら、会話するのは、そのなかでもウマの合う、仲良しの人、それもご機嫌を損ねぬよう注意している。高齢者になると、気難しくなる。話題も選択して口に出している。

 なんでも話せる親友というのは、残念ながらいない。時に、郷里の同年代の親類や友人もいるけれど、お互い永年離れて暮らして、状況が大きく変化している。

 やはり、妻やこどもの家族が最善であろう。大事にしなくては。

「小情異情」 室生犀星

 故郷は、遠くにありて思うもの。そして悲しくうたふもの

 よしや

 うらぶれて異土の乞食となるとても

 帰るところにあるまじや

  大好きな詩です。                 

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