かけがえのない存在と愛について
あいつはダメだ👎
お前はダメだ🙅♂️
正直〇〇さんは足引っ張ってるよね🦵
とか
仕事を頑張っているとどうしても聴こえてくる声だったりしませんか?
僕も人間なので嫌いな人や苦手な人はもちろんいるのですが、あえて人前では言わないかなぁと思うような声。
なぜ出てくるのかといえばそれは「生産性があるかないかだけでその人を評価してる」からです。
人の価値を決めてしまう生産性の魔力
僕たちは社会生活の中で、生産的に生きなければなりません。
仕事もそうだし、勉強も。何かがいい状態になっていくことが至上命題であり、その能力が低い人を評価しなければならないのです。これ自体は良い悪いというよりもそういうものだと思っています。
ですが
生産性がないこと=生きる価値がない
というわけではないのです。
ヨボヨボおばあちゃんの与える影響
ヴィクトール・フランクル著「それでも人生にYESという」にはこんな話があります。
生きる価値とは存在そのものであり、他者との関わりの中でも生まれます。
僕は誰かを愛せば愛するだけ、自分の存在意義や価値が大きくなる。
そんなふうにも解釈しました。
生産性を超えて人を愛す
誰々は自分の役に立つ
〇〇は器量が良くて可愛い
うちの子供は賢いから偉い
生産的な評価判断は裏を返してしまうと、そうでなければ役に立たない、可愛くない、偉くない。
そんなインパクトを相手に与えてしまいます。
またその評価をしてる自分自身も、より大きな苦難に立ち向かい、果たせなかったときに強い失望感や絶望感を味わいます。
繰り返して言いたいのはこれらは悪いことではないということです。
ですがたまにはそんな評価判断の世界から離れて、ただその存在を愛する。
そんなことをしてみてほしいと思うのです。
まさよ
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