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それは誰の感情か

ずっと、他者の感情と自分の感情の区別がつきませんでした。私が思う感情は全て自分のものだとずっと思っていました。思っていたというか普通は疑わないですよね^^;

小さい時から大人の顔色を見て過ごしていた記憶はあります。家族がイライラしないように、家族が悲しい思いをしないように、家族がもめないように・・・。その場の空気や相手の感情がわかるので、なんとかしないと、といつも切迫していました。恐怖すらあった、その理由はまた別にあるのですが・・それはまたの機会に^ ^

☆誰かの感情の受け取り方-私の場合

私の今までの受け取り方は相手の感情が自分の中に入り込む感覚だったらしい。(らしいというのは、当時はそのことに気が付いてないのから)

感情が入り込むので、その人そのものになります。喜怒哀楽すべての感情を受け取るので、悲しいときは悲しいわけではないのに涙があふれ、怒りの感情は怒ることは無いのにイライラしたり、怖くて仕方なかったり、嬉しいときや楽しいときはルンルンです。

その時の私はその感情を自分が共感・共鳴しただけの感情だと思っていました。でも、ただ、共感・共鳴するのとは違っていて、その人そのものになるイメージ。今はそうだったとわかります。

☆感覚的なもの

自分の内側で誰かの感情を受け取ると体にも症状が現れます。
体の痛みや吐き気、めまい、など・・・
ほんと、これには苦しみました。変な人だと思われるのが嫌で周りに話すこともできませんでした。

でも、今はほば影響は受けなくなりました^ ^

☆区別する

心理の勉強をして、自分の感情を認識するために私の感情と他者の感情を区別する練習をしました。

どういうこと?

ほんと、どういうことよって感じです。
だって、ずっと自分の頭の中は自分のものと思ってたから。

しかし、その練習もなかなか難しく、なかなかわからないんですよ。半べそかきながら、勉強してました。

☆日々おこなっていたことは

「自分の意識を意識する」こと

あー・・これまた、意味わからん事言ってる感じだわ ^^;

私には一番わかりやすかった。人の感情が入り込むのは「無意識」、なので無理やり自分の意識を「意識」するんです。そうすると、「あっ!」っという感じで、自分と他者との区別がつきました。

私は指摘されて初めて気がつき、かなり衝撃受けました。
自分のことをつくづくアホだと思いました。

数年後、「自分の意識を意識する」という行為を繰り返すと、「自分軸」と「他人軸」を認識できるようになりました。

そして、そこで浮上してくるのが、親との関係。小さいときの親の感情や言動、行動が大きく大きく影響してくるのでした。「思考のクセ」がわかったりする。これは別の話しか・・

とにかく
ひとつづつ、ひとつづつ、自分をひも解いていきました。

「人間」はほんと不思議です。とても、神秘的。


雅代

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