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「ゲーム」というもう一つの世界


ドキドキワクワクのカウントダウン。10!、9!、8!…

昨晩、今日(2022年12月13日)に日が変わる瞬間。
待ち焦がれていた作品「クライシスコア Final Fantasy VII REUNION」がサービス開始となった。
ファイナルファンタジーというRPG(ロールプレイングゲーム)世界では最も有名かつ名作ゲームの最新作。しかしこれはリメイク版。
元は15年前の2017年にプレイステーションポータブル(PSP)という据え置き型ゲーム機「プレイステーション」の携帯端末機でプレイできるゲームソフトで発売されていたもの。
もともと私自身、こういった「ゲーム」世界に足を踏み入れたのが「ファイナルファンタジーVII」がきっかけ。これにハマりにハマってしまった。
だから、この「VII」世界の7年前の設定、スピンオフとして創られたこの「クライシスコア」もめちゃめちゃ楽しんだし、めちゃめちゃ泣いた。

しかし、PSPも10年経てば動かなくなるし、ソフトを残したまま、もうプレイできなくなってしまっていたものが。。
今のプレイステーションでまたその世界に行ける!
楽しみでならなかった。そして今日、その扉が開いたのだ。


現実世界とほとんど変わらない風景。ここもまたそこに住む人にとっては「リアルな世界」なのだ

「ゲーム世界」というと、ファンタジー世界、物語世界、ストーリー世界への没入、そういった「空想上の別の世界」という認識。それが一般的。

ところが、最近「メタバース」という言葉がすごく聞かれるようになってきた。ヴァーチャル世界、仮想世界で「アバター」となって、そこで遊んだり、人と会話したり、中には商取引をやったっていたりする人だっている。有名アーティストがそこの世界でライブをやって、アバター姿でそのライブを鑑賞する人たちがいる。

さらに、VRゴーグルをつけてその世界に入っていったりすると、そこはもう一つの「ちゃんとした世界」であって、モニター越しの「別の世界」では無くなってしまうくらいの感覚、いわゆる「没入感」に入る。

私が好きな「ファイナルファンタジー」のシリーズには、オンライン型のゲームもある。オンライン型、というのはそのゲーム世界を、その主人公になり一人でクリアし、楽しむものではなく、日本中、世界中のプレイヤーが同じ「世界」にインターネットを利用して降り立ち、それぞれがキャラクターとして、時には共に戦い、敵を討伐したりしてストーリーを進め、クリアしていく。

しかし、敵の討伐ばかりがこの世界での楽しみではない。

この世界に降り立ったら、もうそこの「住人」であり、暮らすように、生活するように過ごすのだ。
さっきの「メタバース」の話のようだが、私はもう5年ほど、この世界で暮らしていて、ちゃんと家もあるし、この前はひとつ無人島ももらって開拓しまくっている。街に流れる音楽、森にいればその環境音は自然音にほとんど同じく、「くつろげる場所」をいくつも知っているし、その場所へは空を飛び、テレポーテーションして移動、月にも拠点がある。
心地良すぎて、もうどちらがリアル世界かわからないくらいだし、なんなら、こちら「本当のリアル世界」へは「行ってくる」、ゲーム世界に戻ったら「ただいま」と仲間に告げるほどにまでなってしまう。

「ゲーム世界」はもう一つの「現実世界」と言っていい。
この現実世界が「生きにくい世界」であるほど、この「ゲーム世界」、いわゆる「メタバース世界」は魅力的なものになるだろう。

その世界では「自分」じゃなくてもいいのだから。

その世界では全く違う「望む自分」で過ごすこともできるのだから。

えーと。じゃ、今からどっちの世界へ行こうかな。

オンラインの世界へ帰るか
新しく手に入れたゲーム世界へ行くか

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