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「当たり前」を大切に

以前、釧路市阿寒町のとある牧場で、牛の世話のバイトをした事がある。

そこの牧場では乳牛ではなく、肉牛を取り扱っていた。

主に子牛の世話で、朝の餌やりやトラックへの搬入やら…やたらと忙しかった。

周りの仲間たちも非常に良い人たちばかりで、短期間で仲良くなれた。社長さんもとても良い人だった。

でも…根性の無い私は…確か一週間そこそこで辞めた(笑)。さすがだ。

そこの仕事仲間に、年上の元ヤンみたいな人がいた。その人がリーダーみたいな感じで、非常に気さくで面白く、人望も厚かった。だが遅刻も多く、社長からは嫌われていたっけ。

タイミング的に、2回目の渡タイをする直前くらいだった。なので、今から10年ほど前の話かな?

とある昼休み、その元ヤンの人が私にとある発言をした。今になってなぜか、それを思い出した。

私が今の人生に嫌気を差していること、それを変える為にもがいていること…そんな類の事を言ったはずなのだが…それに対して彼はこう答えた。

「そうか…。俺ってさ、こう見えて多分、世間で言うところのうつ病ってやつだったのよ。頭も悪くて生き方分からなくて、いい歳して何も出来なくて、マジ死のうとか思って。でもさ、なんっつーか…例えばジュース買うじゃん?で、たまに当たってもう一本貰えたりする。その時の喜びってやつを、いちいち噛み締める様にしたんだよね。『お!今日は超ラッキーじゃん!やべー!』みたいな。」

その後、彼は気恥ずかしそうにこう続けた。

「そしたらね…何かね……イイよ!ははは。」

…正直、その時の私は彼の発言を何となく聞き、ほぼ聞き流していた。

だが…今なら彼の言いたい事も何となく分かる。日常の「当たり前」に幸せを見出し、大切に出来る人こそが、真の意味で幸せなのかもしれない。

ヒトは贅沢だ。常に多くを求めたがる。

だが、私のおふくろはこんなゴミ屋敷でも、「ここがいい」と言った。

普段「当たり前」と思っているもの…だからこそ、それが消し飛んだ時の虚無感もとても大きい。

「当たり前」を大切に…か。

出来てないねぇ、確かに。そこのあなたは、どうですか?

多くを手にすれば、より多くを求めてしまう。

勿論、向上心を持つことは素晴らしい。それも捨てちゃダメさ。流動こそが真理だからね。

流動しつつも、普段「当たり前」に存在するものにこそ、感謝しなくてはいけない。その「当たり前」は、永遠じゃない。

私は…それが出来ていたのだろうか。

…やれやれ。すっかり、牙が抜けてしまった。

売られた喧嘩を買ってた血気盛んなあのマサヤン=ケンヂは、どこへ行ったのかね?

まだまだ、走らないといけないというのに。

でも久しぶりに少しだけ…歩いてみるのも悪くないかな?

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