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ファンタジスト

交差点で、自転車に乗ったオヤジとすれ違った。見た感じ、50代から60代といったところ。

「ンダぁ!ギェ〜!」などと意味不明なことをつぶやきながら、くねくねとハンドルをうねらせ、すれ違っていった。

いつも思うのだが、彼らのような存在は非常に不可解なように感じる。

おそらく、気が狂っているのだろう。しかし、私の視点からそういった人たちを観察した場合、本当にそれだけと言えるのだろうか。

もしかすると、彼には本質的に知り合いも…いや、家族なども存在しておらず、ただ私の目の前にあの瞬間、私の人生ストーリーの辻褄を合わせるためだけに、具現化したとも捉えられるのではないか。

私はいつも思っている。

道頓堀を始めとした心斎橋筋などを歩いている時、その人の多さに驚きつつ…「本当にこの人たちすべてに、人生ストーリーは存在するのだろうか?」…と。

その時の都合上、私の目の前に「人々・登場人物」として存在しただけ…それだけなのではないか。

ひどい言い方に聞こえるかもしれないが、少し気が狂った老人などとすれ違うたびに、そのようなことを思う。

いわゆる、ゲームで言うところの「バグ」のような存在なのではないか、と。いわゆる、ちょっとした「歪み」といったところか。

誤解されるのを覚悟でもう一つ言うが、私は自分以外の存在にほとんど興味がない。

先日、夜中にアコースティックギターを弾いていたら、隣の部屋からクレームが入った。

もちろん、私が悪い。私は周りに関与したくないと心から思っているし、自分以外に興味がない反面…だからこそ同時に周りに迷惑をかけないように生きて来たつもりだ。

勢い余って、ついついプレイに熱が入り、大きな音を出してしまっていたか…いや、本当に申し訳ないことをした。

幸いにも私の部屋は1階の角部屋なので、練習する部屋を変え、ドアを閉め、なおかつ道路側に向かって静かに弾けば、今後はクレームは入らないだろう。

管理会社とのやりとりの際、「楽器の持ち込み自体が禁止ですから…」と言われた。

その時、私が悪いにもかかわらず、なぜだか私はその言葉に腹を立てた。

常識ってやつを度外視し、素直に「お前が私の人生の侵害をするな」と思った。

自分で自分のことを「なんてやつだ」と思いつつも、どこかで「私らしいな」と思った。

私は今後もこの部屋に楽器を持ち込むし、練習もする。

もちろん誰にも迷惑をかけないように、ね。

なんというか…久しぶりに「生きづらい」と思った。

それでも、このクソッタレな現世ってやつを生み出したのは、私自身なのである。

何をするにも「制限」ってやつが付き纏う。

この「制限」をいかに少なくしていけるか…これもまた、人生をウェルネスにしていく上では重要なテーマだ。

自由の錯覚…そしてその「最大化」。

ふふ…どこまで行ってもその自由は「錯覚」だというのに。

私はとんだ妄想家…「ファンタジスト」とも言えるだろう。

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