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中枢に光るもの

我々は、玉ねぎのようなものだ。

存在するが、存在しない。

この玉ねぎの皮のように、外的な要因をパズルのようにくっつけながら生きる…それが我々、ヒトである。

ひねくれずにハッキリと言えばまぁ、ヒトってのは「影響」で出来ていると言えるだろう。

私もあなたも、なぜ日本語を話すのか。

それは日本語の環境で育ったからに他ならない。

中国語しか聞こえない環境に生まれていれば、たとえ血が日本人のものでも、中国語を話していただろう。

私から言わせると「個性」なんてのは所詮、その程度のものなのだ。

遺伝は確かに、ある。

でもそれは、我々の遺伝子配列のうちの、ほんの1%に過ぎない。それ以外の領域を「ジャンク領域」という。つまりは「ゴミ捨て場」だ。

その「ゴミ捨て場」こそ、我々が「個」であるがゆえの「個性」の眠るところ。つまり、「玉ねぎ」が眠るところ…私はそう考えている。

私は色々なコンテンツで、「本当の自分とはもはや、コンタクトを取ることは出来ない」と言ってきた。

もっと言えば、それって本当に存在しているのかどうかすら…その証明すら、難しいのである。

「ヒト」を形成する個々のパーツたち。それらを全て剥ぎ取っていったら…最終的には一体、何が残るのか?

というか、本当に何か残るのか?

親の教育や友達から得た知識や影響、聴いた音楽、背中を見た有名人、趣味、特技、スポーツもろもろ…それらのヒトを形成するパズルのピースを全て剥ぎ取ったら…そこには最終的に、何かが存在しているのだろうか…?

言ってしまうと、それら全て、この世に滞在するためだけのもの。本質的には余計なもの…とも捉えられなくもない。本質的側面から観察すると、そういう事になってしまうのかもしれん。

…となると、「ジャンク領域」って呼び名は、当たらずとも遠からず…なのかも。

この世において、食べ続けると確実に体を壊すことになるであろう、「ジャンクフード」。皮肉にも、我々をこの世に繋ぎ止めるパズルのピースには、同じ名前が刻み込まれているのだ。

我々はジャンク。

我々はゾンビ。

この皮肉もまた…以前から言ってきた。

突如巻き起こった「ゾンビブーム」。ゲーム「バイオハザード」、映画「ウォーキングデッド」などなど…。

昨今のウイルス騒動も加味して考えると、あれらは間違いなく…ゾンビというより、我々のことだ。

ならいっそ…この「屍肉」は捨てるべきなのかもしれない。

だが…繰り返しになるが、この「屍肉」を全て捨て去った場合、本当に「真の自分」に出会えるのだろうか?

玉ねぎの皮を全部脱ぎ捨てたとして…「無」だったらどうする?

その時は…単純に「消滅」してしまうのか。

そんなことを考えたことはあるだろうか?

もし、その存在を生涯にわたって一度も証明できずに終わるとしたら、あなたは正真正銘、ただのロボットだ。

私たちは間違いなく、「赤ちゃん」と呼ばれる頃にその肉の器に「入った」。そう思ってきたはずだ。

でも…それすら錯覚だったとしたら…途端に死ぬのが怖くなってしまう。

消滅してしまうと言うのか?そんなバカな…。

なら、この人生というやつは、あまりにも無情すぎやしないか。

我々は何の為に存在するのだ。

……そこで、私の考察が活きてきたりする。

すなわち、「この世=ヒト」理論である。真・ガイア理論。

観察すればするほど、この世は広義で、ヒトで出来ている。宇宙規模で、だ。

とある大きな大きな、そしてとんでもなく小さな意志の中にいて、かつ外側にいるとも捉えられる。

その広義で「ヒト」と呼べるその領域において、我々人間は「無」を説明できないし、理解できない。

ツチノコだろうがドラゴンだろうが、ヒトが想像しうるものは、何かしらの形でこの世に存在しうる。

これもまた、有名な話でしょう。

これを逆に言えば、「ヒトが理解も想像も出来ないものは、この世に存在しない」。

「無」の事象が無いとは言わない。あくまでもこの世においては、だ。

でも事実、我々は「無」も…ついでに「ランダム」も理解出来ない。

と言うことはやはり、この世にランダムと言う名の自由意志は存在せず、かつ無も存在しない…と言うことにならないだろうか。

つまり…我々は「無」たり得ない。

どこかに「それ」は存在している。

目を閉じて考えてみてほしい。

「それ」はあなたの中のどこにいる?

端っこの方だろうか?

上や下の方?

…いや、違うはず。

抽象的ながら、「それ」はあなたの中枢に存在している。誰もがそのように想像するはずだ。ならばその時点で、「本当のあなた」が存在している可能性は、まだ残されている。

……「無を求める」。

一見すると矛盾を孕むこのことに、私は真理探求者として、これからもチャレンジしていきたい。

ほとんどの人が、「死ねばわかる」と言う。でも、私はそう思わない。それだと、この人生ってやつの説明がつかない。

この脆く儚い肉の器が存在しているうちにきっと、到達できる領域だと思っている。

ヒトよ、中庸であれ。

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