見出し画像

手放せ

人は、得ようとする。

もうとっくに「持っている」はずなのに…ゼロの少ない銀行の残高を見ては、ため息をつく。

「もっとお金があれば、たくさんやりたいことが出来るのに…」

その「たられば」というやつで、ほとんどの人が自分の「やりたいこと」を後回しにする。

特に大きな勘違いとして多いのが、「好きなことを仕事にできればいいのに」…という願望だ。

私はゲームが大好きで小学校時代、ゲームクリエイターになろうと思った。

だが、「RPGツクール」などのクリエイト系ゲームを遊んでみて分かった。私は「クリエイター」じゃない。「プレイヤー」なのだ。「プレイヤー」である時こそが一番、幸せなのだ…と。

大人になればわかると思うが、むしろ「好き」を仕事にしてしまうなんて最悪の選択肢だ。全く違う話になってくるからね。

ともかく、人々は「たら、れば」などといった「たぬきの皮算用」を繰り返す。

「あれができれば、幸せになれるのに…」

「これがあったら、きっと大丈夫なのに…」

こうして結局、喉が渇いたままの状態になってしまう。こうなると、下手すりゃ死ぬまで幸せになれない。

そんな「お願い」なんぞしてる暇があったら、まずは自分が既に十分持っている事を理解すべきだ。

特に日本人は、ね。こんなに平和で豊かな国はない。私たちは日本人というだけで幸せなのだ。日本をどんなに言われようが、どんな時代になろうが、ここだけは忘れてはならない。

分相応な行動範囲の中にもきっと、己を満たせる「幸せ」が隠れている。

子供の頃はともかく全てが輝いていた。公園でなびく草の一つ一つに魅力を感じた。どんな状況でも「楽しい」を見つけ出すプロだったはずだ。

くどいようだが、私たちはもう持っている。いつの間にか…「それを見つけ出す方法」を忘れているだけだ。

ヒトは己の世界を構築する力を持つ。

「私はまだまだ渇いたままだ!」と洗脳の如く思い続けていたら、本当に死ぬまで「満ち足りない人生」が続くことになるだろう。

逆に「既に持っている」の精神で人生を臨めば、何気ない日々の出来事にも笑えるようになる。

「私はもう、全てを持っている…」

その精神は当然、自律神経を穏やかにし、己の精神をフラットへと導く。結果…中庸点に至る。

中庸は全ての通り道だ。だからこそ、ポジティヴもネガティヴも等しくやってくる。

…その時、あなたの人生は、究極の意味で充実し始めるだろう。

ポジティヴばかり受け入れてネガティヴを嫌う精神のままだと、決してここには辿り着けない。

全てを、俯瞰せよ。

YouTube【真理探求チャンネル】も宜しくお願い致します。

奴隷からの脱出法(覚悟のある方のみ)→https://note.com/masayan_kenji/n/n81a68a0ba12a

stand.fm【真理探求ラジオ】も聴いてね!📻

もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。