表現者たれ
「ミスこそが究極の自己表現である」
…この私の考えを受け入れてくれる人は、少ないかもしれない。
そもそも今の時代向けではないとも言えるだろう。
この世は大きな波(リップル)の集合体だ。セオリー通り言うなら「ビッグバン」によって誕生し、同時に大きな波が発生した。
いわゆる「森羅万象」の誕生である。
しかし、当然ながら形あるもの全て死に逝く。それはこの世も然りで、このリップルが静まる時が必ずやってくる。
波が静まる時…それは全ての「均一化」が為された時だ。その時、間違いなくこの現世領域は終わりを迎えるだろう。
同じ様なメイク&整形をし、同じ様な顔になる女性たち。同じ様な音楽しか聴かない人たち。カッチカチのセオリー通りに生き、マニュアル通りに表現する事を「よし」とする人たち…。
YouTubeやXのポストを見れば分かるが、全体的な「ヒトのロボット化」は加速している様に思う。要するに、世の終末が近いってこと。
これからほとんどの事がAIで表現できる時代がやってくる。というか、もう既にそうなって来ている。
だって、ヒトがこれだけマニュアル通りにガチガチに表現する生き物になってしまったのだから…AIとしては、これをコピーするなんてお手のものでしょう?
音楽すら、AIがある特定の傾向や統計を計算し、有名アーティスト顔負けの曲を作り出す始末。
こうなるともはや、AIが人類を「超える」日は近い。
ただし…
だからこそ、AIでは真似出来ない事をする「表現者」が重宝されるのだ。これから確実に、そういった時代がやって来るだろう。
ジミ・ヘンドリクスは己のミスすらも、演奏の一部として取り入れようとした。
「ミス」というくらいだから、まぁ普通に考えれば、自分から見ても思わぬタイミングで出てしまう「ノイズ」である。
だが…彼はそれを「個性」として捉えていたのだ。1960年代にして、彼は最先端の事をしていた。
「ミス」…これ以上の「個性」があるだろうか?
だってそれは、自然に無意識で発生した、己の中にある周波数でしょう?じゃあミストーンこそが唯一無二の至高の音という事になるじゃないか。
…恐らく、譜面通りに弾ける事、原曲通りに歌える事を「よし」とする現代人に、この理屈は理解出来まい。
今思えば、カラオケという最悪の文化が蔓延した時点で、人々はとっくにこの傾向にあった。
いかに原曲に音程を合わせられるか。どれだけ高い声を出せるか。どれだけビブラートをキッチリと効かせられるか…そんなクソみたいな下らない事に皆、全力を出す。結果、セオリー通りの事しか出来ないロボット人間が量産された。
他人のミスをバカにする人は、この世の真理ってやつを何もしらない。
…ミスを恐れるな。恐れるんじゃない。
それこそが、「あなたそのもの」なのだから。