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お金=未練

お金は、あったほうがよい。

ここはほとんどの方が同意してくれるはずだ。

まぁ尤も、自身が一生において必要と思っている分以上は必要じゃないかもしれない。キャパオーバーなお金は逆に不幸を生むからね。

ただ…どれだけ多くの財産を築いたところで、「あの世」には持っていけない。

私から言わせれば、この世はゲームで言うところの「チュートリアル」みたいなものだと思うのだよ。

でも皆、この現世における「人生」ってやつで全力を出す。

そして、己の時間の八割以上を「お金稼ぎ」の為に使う。

…これって、よく考えてみるととてもナンセンスなことである。

「お金」は間違いなく、この世における大きなテーマだ。

お金が全てじゃない。でも、無いと生きていけない…そういった「矛盾性」を孕んでいる。

「健康」もそうだね。健康が全てってわけじゃないよ。でも、健康を失うことで全てを失うのも事実でしょう。

私たちはこの世における人生ってやつを充実させる為に、この二大テーマに立ち向かわないといけないのだ。

この二つに関して真剣に生きても、結局その肉体もお金も、この世に置いていく。

…そこだけ見ても、この世にはまったく価値が無いのがわかる。こんな世に未練を抱くなど、愚かの極みだ。生ゴミに未練を抱く方がまだ賢い。

「健康」については、考える必要もないだろう。肉体が死ねば、それは自動的に手放すものだ。

じゃあ…「お金」は?

例えば100億円の資産があったとして…使いきれずに死んでいくと、どうなるのだろうか。

まぁ私以外のほとんどの人は、財産分与について考えるだろう。子供や孫に引き継いでもらおうとするはずだ。

だが…それって「良い選択」なんだろうか?

恐らく「お金」は「この世への未練」とそのまま言い換える事ができそうだ。

それを「この世に置いていく」という行為は…あまり褒められたものでは無い様な気もする。

子供や孫などに多くの財産を残したら、そりゃあ彼らは助かるだろうさ。

そして、彼らもその財産を元に幸せな家庭を築き上げるだろう。

結果…やはり家庭を作って子供を産み、育てるに違いない。だって、財産分与によって相応の余裕ができるんだからね。

つまり、世間では「善行」と言われる「親族にお金を多く遺して死ぬ行為」もまた、この世にまた輪廻転生してしまう条件の一つのような気がするのだ。

とはいえ、死の瞬間なんて我々にはわからない。いつの間にか死んでいるはずなのだから。

そう考えると、資産をゼロにして死ぬのは難しいね。

遺書で親族に渡すようにしても、子や孫だってある意味では「財産」なのだから…どちらにしても、それだとこの世に対する「未練」を精算できていないような気がする。

日本にはスイスのような合法自死が無いね…もしあるなら、可能かもしれない。

自分で死ぬタイミングを選べる。これなら、それまでに使い切ってしまえばよいだけの話だ。新たな親族もつくらず一人で、ね。

これができる人は、この世にほぼいまい。

だからこそ…私の夢でもある。

次の宇宙に「未練」など、必要ないのだから。

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