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霧雪

私は定期的に、「地元の空気を吸いたい」感覚に襲われる。

一寸先をも闇にする真っ白なモヤ、息をも凍るあの静まり返った無慈悲な空間…私を育てたのは間違いなく、この霧と雪だった。

霧がかった釧路の街の渇いた空気とその匂いを、前頭葉を駆使して思い出す。

その都度、ふっ…と幸せだった学生時代が頭の中によぎり、同時に笑顔のおふくろが思い起こされる。

夕方になると香ってくる各家の晩御飯の匂い。17時を知らせる鐘の音が、不景気で寂しい街の中にこだまする。

店に行く前に電子レンジでチンするだけで食べられるよう、おふくろが晩飯を用意していく。

その後、仕事から帰って来た親父と二人でご飯を食べる。三人で食べられるのは、おふくろが仕事を休む日曜日と祝日だけ。

そんな日々を…結局、40年ほども過ごした。

地元の釧路市には本当に何もない。お金が有り余っていて、セカンドライフを静かに過ごしたいという人には良いのかもしれない。

何もないが故に、観光地としても決してお勧めできる場所ではない。一度行ってみるのも良いだろうが、恐らく思った以上に時間を持て余して困るだろう。

だが…私は別だ。

釧路中、至る所に「残影」とも呼べる私の「思い出」がある。

釧路湖陵高等学校。私の母校である。

それを回るだけでも…2、3日は使えるだろうね。

この記事を書いているのは真夏の暑い時期だ。大阪にいるよりは北海道の方がはるかに涼しいので、避暑としては最適だろう。

ただ、ね…。やっぱり私が地元を思い出す時の景色は…「白とグレー」なのだよ。行くならあえての真冬かな。

雪の混じった霧に乗って運ばれてくる、海の匂い。周りが薄暗くなってくる18時頃…おふくろの店が賑わいを見せ始めるタイミング。同時に、親父が仕事を終わらせて帰るタイミングでもある。

幼少期、私はおふくろの出勤時に、よく手を繋いでおふくろの店に行った。道中、運が良ければゲームも買ってもらえた。

そして、店でおふくろが開店の準備をしている時…親父が店に来て、車で私と一緒に帰宅した。その頃、親父はガソリンスタンドの所長だった。

親父もおふくろも…当時の私にとっては自慢の両親だった。

どこからだろうな…あんなに仲良く元気な家族だったのに…全てが変わってしまったのは。

おふくろも親父も兄貴も…世間が不景気になるにつれ、皆、おかしくなっていった。

その直接的な原因としては、確かに通常の食事の内容や、カフェインの日常的摂取によるものも大きいだろう。

…まぁ、理由なんてどうでもいい。

いずれにしても…私の家族はそうなる運命だった。最初からそういう筋書きだったということ。

当時感じていた「幸せ」ってやつを一人、思い出す…たったそれだけの為に地元旅行をするのも悪くない。

今年もまた「例の場所」に行きがてら、思い出を拾って来ようと思う。

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