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自己啓発本は"言葉のドーピング"なのか?

たまたまタイムラインに流れてきて、読んだ記事のなかで、
なかなか悶々と考えさせられた記事がありました。

30年近く編集者をされていた方が、自己啓発本が日本に根づいた歴史、そして現状とビジネスマンの生存戦略について語られた記事です。

日本における自己啓発本の歴史

記事を簡単に要約すると、日本における自己啓発本は経済の変化とともに読まれ、そのトレンドも変わってきたよう。

日本で自己啓発本が盛んに読まれるようになったのは1960年代の終わり頃から。そのころのテーマは「いかによりよく生きるか」だったと。
成功として「金」「仕事」「女」がフューチャーされていた。

90年代にバブルが崩壊すると「成功のロールモデル探し」になっていきます。

90年代後半から2000年代にはいるとITバブルと共に、自己啓発本の言葉が一気に広がり、インターネットを活用して「いかに効率よく金を稼ぐ人間に人間になるか」が主流に。
一方で、「ロールモデルなき時代をいかに生きるか」にも関心があつまる。

東日本大震災後は、景気の悪化とともになかなか出世ができない経済を反映して、「脱サラして30代で隠居生活」や「なるべく働かないで生きていく方法」などがテーマに。
上昇志向からいかに抜け出せるかが、注目を集めていく。

努力に対する見返りを求める層に対しては「筋トレ」も重要なテーマに。

記事ではその先で、承認欲求とSNS、オンラインサロンなどに触れられていきます。

自己啓発本を読んでいた新人時代

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僕も仕事のためによく本は読んでいますが、この習慣がついたのは大学を卒業して、東京のベンチャー企業に就職をしたようなタイミングでした。
当時、仕事は楽しく、生活の大部分を仕事中心で考えていました。

そんなときに僕もちょくちょく読んでいたのが、”思考は現実化する”とか成功した実業家がキャリアを書いていたいわゆる自己啓発本でした。

いま思い返すと、それらの本からは当時の自分が抱えている課題を解決する術を学ぶというよりも、苦労している現状からどうステップアップするべきか、そんな夢を見て、将来への期待を抱き、また月曜日からはじまる仕事のためにモチベーションを蓄える側面が強かったように思います。

記事で語られているように自己啓発本にかかれている言葉は若手の僕にとっても、"成長"という甘い果実で誘い、上昇志向と承認欲求を満たしてくれる"言葉の麻薬"のようものでした。
ここ数年はそうゆう本をあんまり読まなくなりましたが、自己啓発本ばかりを読みこんでしまう気持ちはわかります。

じゃあ自己啓発本は悪なのか?

じゃ自己啓発本はビジネスマンにとって悪なのかと言われると、そうではないでしょう。ビジネスマンやっていると、大変なことの連続であり、10%の感動のために、一歩一歩進んでいくのがほとんどです。

そんな中で、現代のビジネスマンとしての成功のロールモデルと生存戦略を描き、モチベーションを高めてくれる、マインドを醸成するような自己啓発本も必要でしょう。
それによって、ちゃんとビジネスに向き合える人もいると思います。
新人時代の僕はまさにそうでした。
ただ、自己啓発本には上昇志向と承認欲求を満たす"言葉の麻薬"のような依存性がある側面は忘れてはなりません。用法用量には注意して読むべきです。

ビジネスマンに救いはあるのか?

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話は変わりますが、2~3世紀のローマにおいて、治安の悪化、天候不順による生活不安と飢えに苦しむ社会不安の中で、イエスの言葉を信じていれば天国に行けるという、キリスト教の教えが民衆の心を掴み、普及しました。

現在、新型コロナの影響、テクノロジーの発展、これまでのキャリアモデルの崩壊など、ビジネスマンが置かれている状況はいま大きく変化しており、社会に対して不安を感じる場面が多くなっています。
このような時世ではローマの民衆がキリスト教に救いを求めたように、現代においても、人がなにかに救いを求める傾向は強くなります。

そして、道筋を指し示してくれる"自己啓発本"や"オンラインサロン"、"インフルエンサー"などはこれからの未来を描き、彼らの言葉を信じて、行動すれば救われるという甘い果実に映ります。
特に不安を抱えている人たちにとって、既存体制への批判的意見は刺激的で、魅力的です。
ただ、記事にもあるように、彼らの主張を鵜呑みにすると簡単に"言葉の麻薬"で洗脳されてしまいす。

ちなみに誤解のないように、僕はそういった将来への道筋を示してくれるモノを批判したいのではなく、それを無条件に鵜呑みにするべきでないということを言いたいのです。

不安な時代に救いを求めて、時代に合わせて形を変えた"言葉の麻薬"を取り入れ、思考停止してしまう流れは加速していくのではないでしょうか。
この時代を生きていくには"言葉の麻薬"を信じて思考停止するのではなく、筆者が言うように多方面の思考や主張に耳を傾け、苦しくても自分の頭で考えるしかないんだと思うんですよ。

宗教に対してマルクスが"民衆の阿片である"と、ニーチェが"ルサンチマン"という概念で批判したように、現代においての宗教が自己啓発本になってしまわないように。

自分の足で情報をインプットして、咀嚼して、自分で自分の未来を考える必要性があるよと、そう思うんです。

"シン・ニホン"は素晴らしい本ですが、まるで聖書のように扱うのではなく、読んだ上で、自分の頭で考えなきゃいけないんですよ。

社会が混乱期にあり、”いかに生きるべきか”を求めることは昔から変わらないトレンドだと思いますが、ただ楽になろうと救いを求めてはいけないなと。

そんなことを自己啓発本に関する記事を読みながら、過去の自分への自戒も込めて考えていました。

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