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ビジョン : カーペットを日本の文化にする!

僕は、2008年に入社して以来、ずっと考えていたことがあります。それは、堀田カーペットは何のためにカーペットをつくっているのか?社会にどのように役にたっているのか?堀田カーペットはどこに向かっていくのか?ということです。いわゆる「ビジョン」です。
何度も何度もつくってみましたが、なかなかしっくりくるビジョンができず、自信をもって共有できないでいました。ようやく、それができました!

ビジョン : 「カーペットを日本の文化にする!」

文化とは
社会を構成する人々によって、習得・共有・伝達される行動様式
(大辞林)

堀田カーペットは、1962年に大阪府和泉市で創業して以来、職人とともにウールのウィルトンカーペットのものづくりと向き合ってきました。
1980年代には新築住宅の床面積のうち20%程度あったカーペットの暮らしが、現在はその1/100、0.2%にまで減少してしまいました。同時に、大阪泉州のウールカーペット産地でも、当時約400台動いていたウィルトン織機も現在では約20台程度まで減少。日本においてカーペット文化は途絶える寸前にあります。

私たちは、日本にもう一度、カーペット文化をつくることをビジョンとしています。

私たちは、技術を習得し、お客様にカーペットの気持ちがいい暮らしを伝え共有し未来に伝達されていくカーペットの文化をつくります。
そして日々のものづくりに誇りを持ちながら、ものづくりの楽しさや美しさ、何よりカーペットの気持ちがいい暮らしを、未来につなぎます。

背景

大阪泉州地域は、古くからカーペットの産地として栄えていました。国内ではじめてつくられた国産カーペットは佐賀県鍋島緞通です。その後兵庫県赤穂緞通と伝達され、次に産地として栄えたのが大阪府堺緞通(1831年〜)です。現在大阪府のカーペット生産量は、国内生産の約80%程度を生産する、いわゆる「産地」になっています。
堀田カーペットはそんなカーペット産地で1962年に創業した会社で、一般的にはそれなりの歴史がる会社なのではないかと思いますが、業界では新参者です。

堀田カーペットがつくっている「ウィルトンカーペット」は、イギリスの産業革命の時代に、カーペットが初めて機械化された「ウィルトン織機」を使ってつくられています。厳密には、イギリスで開発されたウィルトン織機を、国産につくりかえてつくった織機を、堀田カーペットでは創業以来かわらず使用しています。
その後カーペットの機械化は進み、「タフテッド」や「アキスミンスター」といった織機が開発され、現在のウィルトンカーペットの生産量は国内生産のわずか1%でしかありません。
(タフテッドカーペットの生産量 約5000万㎡/年 堀田カーペットの生産量 約9万㎡/年)

市場を眺めてみると、新築住宅におけるカーペットの面積は、1970年代には床面積の約20%あったカーペットが2000年にはいって0.2%、ピーク時と比較すると1/100にまでなってしまいました。

その結果、ウィルトン織機の台数は、ピーク時約400台程度稼働していましたが、現在では約20台、生産する会社も泉州地域に数社あるだけになりました。使われる原材料であるカーペット用のウール紡績会社も数社、染色工場はも数社、ウィルトン織機メーカーはなくなってしまいました。存続しているどの会社も順風満帆というわけではなく、産地としても危機的な状況にあります。

現在の市場の環境、産地の環境は、もはや日本から「カーペットの文化」が一度途切れてしまった、といっても過言ではないと思っています。このままなにもしないでいると、本当に日本でのウィルトンカーペットの生産はなくなり、住宅においてカーペットという選択肢がなくなってしまう。

僕は、この状況をなんとかしていきたい。そんな思いがこのビジョンには込められています。

僕たちは「畳」のような「THE日本!」という文化をつくっていきたいわけでも、すべての床をカーペットに変えていきたいわけでもありません。ウールカーペットの生産、ウールカーペットのある暮らしを、丁寧に未来につなげていきたいのです。ただ産地を維持していくことではなく、ウールカーペットの生産に携わりたい!と思ってもらえる業界をつくり(習得)、カーペットを楽しく選び買える環境をつくり(共有)、気持ち良い暮らしを伝えていく(伝達)、そんな循環をつくっていきたいと思っています。

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