“今ここ”を超えて意識でつながるタイ映画『ブンミおじさんの森』
私たちが住んでいるこの宇宙は、「どのように拡がったのか」はある程度解明されてきても、「なぜ拡がったのか」は未だに謎で包まれているらしい。
現代の科学による「どのように拡がったのか」の答えは、インフレーションという現象が出発点であり、その現象が引き金となって、ビッグバンが起こり、急膨張し始めたということ。ちなみにインフレーション直後の宇宙は1cm程度だったそう。
それから138億年が経ち、いま私たちがここにいる。
遥か昔のことだとはいえ、僅か1cmだった宇宙がこの世界を作ったのは決しておとぎ話ではなく、現代の科学で分かっている範囲では確かなことである。
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『ブンミおじさんの森』も、ファンタジーのような話だが、否、世界は確かにそうなっているのではないか?と不思議な気持ちにさせてくれる。
冒頭の食卓シーン。
亡くなった妻の霊が現れ、行方不明になっていた息子が猿の姿になって帰ってくる。ブンミ、妹、その息子は驚きながらも、妻の霊、猿の姿をした息子と一緒に食卓を囲み、会話が始まる。ここまでなら幻想的な物語に過ぎないだろう。
ところがブンミおじさんと妹が養蜂場で蜂蜜を舐めている場面、王女らしき女性が池でナマズとまぐわう場面などを見ているうちに、世界はそもそも不思議で溢れているのではいかと頭ではなく、身体でじわじわと感じてくる。
蜂が花の蜜を採集して作られる蜂蜜はどう考えても神秘的だし、魚や昆虫たちと言葉で話せなくても、「あっ、今、目が合った」などの感覚を抱く時は確かにあるからだ。
死を悟ったブンミおじさんは森の中の洞窟に行き、最後に印象的な言葉を残す。
この洞窟、母胎みたいだ
俺はここで生まれた
生きているうちは思い出せなかったが、今はわかる
俺はここで生まれた
その俺は人間だったか
動物だったか
女かもしれないし、男かもしれない
私たちは各々が生れてから死ぬまで“自分たちの”時間軸の上で生きている。
その“自分たちの”時間軸を物理的に超えることはできなくても、今を離れて過去に意識を向ければ、そこには確かに自分と繋がっているたくさんの男と女がいる。アウストラロピテクス前の時代に遡るなら、動物であり、昆虫だったのかもしれない。
何もスピリチュアルな話ではなく、138億年前のインフレーションから今日まで脈々と生の繋がりがあるから、私たちがいまここに存在している。
映画の最後にブンミおじさんの葬式のシーンがあっても、そこに悲しい雰囲気はなく、むしろ暖かい、柔らかい空気が流れている。
久しぶりに鑑賞し、お盆にピッタリの映画だと思った。