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「赤ひげ」っていいなあ。

黒澤明さんって、やたら偉いと言われているから嫌いだ。
人が偉いのではなく、作品が素晴らしいのだ。
僕は「羅生門」から「赤ひげ」辺りまでが好きである。


初めてこの映画を見たのは、池袋の名画座かフィルムセンターの夜の上映だったと思う。暗い空間で同じ映画を見て咽び泣くのって不思議な感覚であった。昨今のネット配信では時間を自由に操れる所が嫌いだ。
映画館で流れる時間は作品の時間だ。
「リアリズム」というよりも「舞台劇のような格式」の有る「台詞回し」が少し抵抗があるやにしれないが、それも心地よい。


まあ、今回はDVD借りたので僕の時間で見てしまったが(笑)。こちらの都合で先に行ったり見直したり、怖いところは飛ばしてつまみ食いであった。
赤ひげは中期の作品に入るのだろうか。あの菊千代がこうなるのかと感慨にふけることになる。

七人の侍、社会の持っている問題を浮き彫りにする。単なるちゃんばらではない所が凄い。黒澤映画というと「椿三十郎」「用心棒」が娯楽性があってと喜ばれるが、僕は社会に問題を問う映画が好きである。その意味では「七人の侍」に勝るものはない

赤ひげは、医療とは何であるかを考えさせてくれる。
病院という場所が、検査値を正常にする薬を盛って管だらけの人生の終わりを迎えさせる所になったのは最近のことである。
恐らく「保険制度に致命的な欠陥」がある。そして、専門家の言いなりになる私たち自身の問題であるのだ。
貧困・格差といった社会の問題を多くの不幸の根源に有るものだと描かれる。これが素晴らしい。いつもボロ泣きである。
この映画で訴えたかった問題は、今と何も変わりがない。1965年の映画である。

ちゃんとアクションシーンも有るのであった。「念仏の鉄(必殺仕置人)」的な活躍である。

面白いのは、心療内科的な治療もする所である。精神を病んだ娘を座敷牢に入れているシークエンスは、陰鬱である。そして今の問題でも有る。

「こころ」の問題を実に重く描いている。他者理解とは何であるのだろうかと問いかけている物語なのだ。

その姿勢は1965年の映画の中で描かれているとは思えない。精神医療に対しての造詣の深さが凄いと思う。今の精神医療はよく効く薬を使って薬理学的なロボトミーを行うだけではないか。
精神を病んでいるように見えるのは、現実の人生に問題があるのだ。
どうして「そんな風に感じるのかわからない」と僕はよく言われる(笑)。
感じることは仕方がないことなのだ。奇行や異常というのは「こころ」の当たり前の反応なのだ。彼は人生に向き合うためにそんな姿になったのだ。
彼の視線は、優しく素晴らしい。

結局、医療というのは「技術の問題」ではないのだ。どうせいずれ死なねばならないのだから。

絶望の中から、生きる場所を見つける少女のシークエンスがとても好きである。『馬はいいなあ〜、草食っていりゃいいんだからなあ。草はどこにでも生えてりゃあ』このセリフいいなあ。

「おとよ と 長次」のシークエンスは、素晴らしかった。いつもボロ泣きである。人を助ける事で、自分も寛解に至る。家族というシェルターの大事な役割である。

医療という金儲けは「患者の不幸素人の無知蒙昧で金儲け」しておる。。

しかし、加山雄三が若い。

僕もああ言うひげが欲しいのである。

とにかく、一度見るとよろしい。

#赤ひげ
#黒澤明

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。