餡掛けパンチェッタ焼きそば、テイクアウトの無念、月桂樹の剪定
朝はリンゴ、昼に買い物から帰ってきた妻がお腹すいたというので餡掛け焼きそばを作ることにした。野菜たっぷりの中華の炒めを先日の焼きそばの残り(一玉)にかけるのだ。
王様・殿様に献上する料理は、高級食材と複雑な手間で素材を殺して金を稼ぐ。遠い土地の珍味に講釈を付けて高く売る。
庶民の食べ物と同じものはアイツラは好まないのだ。
残念ながら今のチープな食事も「素菜を殺して賞味期限を長くする」という点では「同じ」である。
昔は贅沢病と言われた「糖尿病」が今や国民病である。
モヤシが悪くなりかけなので使わねばならない。モヤシには栄養がないとお偉い学者先生は言う。あの連中は食材から水分を飛ばして残ったカスを分析する。そこに入っている生命の残滓を「栄養素」と言う分類で値段をつける。
可愛そうだが、もやし炒めの美味しさを知らないのだろう。
いちばん大事なことは『なぜ美味しいのか』と言う疑問である。
栄養素がなにもないという「モヤシ」がこんなに美味しいのは、「食事=栄養素を食べる」と言う考え方が間違えているからである。
人の身体から水を抜いて「栄養素」に分解したところで「喜びや悲しみ、苦しみや希望、愛や憎しみ」どれも説明など出来ない。
食事=厨房仕事は「自分自身=生命」を見つめることなのだ。
厨房仕事は生涯をかけても恥ずかしくはない。
大袈裟なもやし炒めである。
美味しいわけだ。
庭の月桂樹が大きくなりすぎているので剪定することにした。
庭仕事は面白い。
それぞれの木々が自分を広げようとする。
雪に折れることもあり、僕に切られることもある。
僕も庭の一部なのだ。
贅沢な趣味である。
買い物に出たら、腹が減って夜はハンバーグのテイクアウトを食べてみることにした。アトカタはカンタンであったが、無念な夕食であった。
このゴミは社会の中でコストとなって、同時に医療キャピタリストの富につながるのだ。世の中は複雑である。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。