アーリオオーリエ_ジェノベーゼ_カルボナーラ、すき焼き
今朝から買い物に出たが混んでいたのでそのまま帰ってきた。朝は昨日のうどんの残りを食べて3時位にパスタを作った。パンチェッタの出番である。ジェノベーゼオイルとチーズがあったので豪華な一品ができた。
カプサイシンが唐辛子には入っているから食べるといいとそこら中に書かれているが、「還元主義が生命を解明すると思いこんでいるというバカな言説である」である。還元主義とは、科学的な分析によって「災厄」の原因が見つかると思いこんでいる私達の弱さである。
商売人の言うことを信じてはいけない。高度医療という拷問的な侵襲と薬漬けの人生の終わりが待っている。
『年老いていくこと、様々な臓器の不全、ガン、生活習慣病と呼ばれる検査値の逸脱』これはアタワリである。毎日の生活が現れた当たり前の姿なのだ。そして、世界には金で買えないものもあるのだ。
僕は食事を作るプロセスに問題があると思っている。この50年での食事に対しての変化は外見からはわからない。しかし、多くの食事に起因する災厄が世界に蔓延していることを考えれば筋が通っている。
夜はすき焼きにすることにした。もちろん豚肉である。
鍋というのは「血」なのである。体の外で食材の生命の海を作り食べるのだ。大事なのは作られるプロセシなのである。「濃縮抽出乾燥」工程を通らないことこそが重要だ。
それは、家族というシェルターが守り続けてきた「伝統的な調理技術」の中に生きている。
食事を作るプロセス(素材から皿までの距離と時間)こそが重要っである素材の内にある「生命=立体構造を持ちその内側にミネラルを維持しているタンパク・脂質+生命の共通の通貨であるブドウ糖」をいかに「生命の海」から海へと導くかが伝統的な厨房のロセスなのだ。
それは非効率的で、時間がかかり、愚かに見える。
スーパーやコンビニで弁当やお惣菜を買って食っている元気な年寄はいない。商品化された食事、検査値によく効く薬、何度も繰り返される同じような災厄、「経管栄養・輸液・胃ろう」で管だらけのクリスマスツリーのようにされてICUで臓器移植を待つ人生の終わり。
そんな道を通りたくはない。
夜中にマユのご飯を作った。
僕には、健康診断を繰り返して高度医療にすがりつく姿こそ愚かに見える。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。