落花生日記(2)芽吹き、2021年6月10日のこと、アボガド盆栽の楽しみ
植物というのは「根と幹」のコロニーに「葉」と言う生命の単位が生まれる一つの街だと思っている。無論、葉も、根も幹も細胞生命から出来上がっている。同じDNAゲノムを持つ、つまりプロトコル(律)に従い情報のやり取りを行う。情報というのは、生化学物質そのものである。
医学者や専門家の持っている生命観とは全く違う。別に議論したいわけではない。僕自身が糖尿病に向き合う食事を見つけるために、アイツラのへんちくりんな生命観を乗り越えなければならないのだ。そして、生命の姿は、生命の内にある。僕の内側にも、一粒の種のうちにもあるのだ。そして謙虚に見つめればいい。宗教家は言う、豪華絢爛たる神殿に神はいない。自分として生きて、ピンコロな人生を送りたい。そのためには「生命の律」に従った食事こそが必要なのだ。
こんなに早く芽が出るとは思わなかった。
根は地中の「マイクロバイオーム(微生物、細菌・ウイルス)」を集めその内なる海に誘い込む。逆から見れば、マイクロバイオームが根を呼んでいる。
ガンが毛細血管を呼ぶというのは有名な話である。悪いことではない。生命はコロニーの内側でお日様の力を求め、自分にできることをする。それは、自分を破壊してもっと大きな何かを作ることであったりするのだろう。
根と根は互いに絡み合いマイクロバイオームを共有する。根は水を吸っていいるのではない。生命を集めているのだ。「葉」がお日様の力で作った様々な生命の物質を共有する。
アボガド盆栽の端に植えたので移植することにした。種を蒔いてから一週間である。
落花生の蓋が左右に開いて葉が出てきておる。美しい。11日AM9:00である。
もう一つはまだ芽が出ない。根が先に伸びる。
こちらの続きです。
新居に引っ越した。
ちょっと大きめの鉢である。この鉢いっぱいに落花生が満ち溢れると思うと、ワクワクする。外の花壇も芽吹き始めている。
一つでは可愛そうであるなので、2つ並べた。
少ししてみたら、明らかに大きくなっている。生命は素晴らしい。11日11:30
穂先が分かっれてきているのが分かる。11日14:30
穂先が分かっれてきているのが分かる。12日5:30
隣の方も芽が出始めている。12日5:30
タケノコもそうだが、新芽の頃は一番狙われやすいから一気に大きくなろうとする。面白いものだ。
アボガド盆栽の楽しみ
アボガドとの付き合いは長い。この家に越した頃、第一期のアボガドとの付き合いが始まった。雪をかぶると枯れるのでこの辺りでは地植えは難しい。プランテーでいいのだが、あっという間に大きくなるので持って動かせなくなるのだった。この時期の記録が見つからない。
しかし、何とか実がならないかと盆栽とすることに決めたのが第二期である。結構続いているが、色々と考えることも多い。どうなるのだろうか?
この鉢が第三期の代表である。小さいうちから積極的にひねることにした。
しかし、何をやっているのだろうか。
こちらはアボガド盆栽。3個の種から発芽したので互いに絡ませて伸ばすと面白い。
先頭に新芽が出る。これが嬉しいのだ。
高く伸びようとするので、引き止めることにした。
針金で、下に引っ張る。あまり強く引くと折れるので気をつけたほうがいい。この枝は一回折ってしまったので注意である。出たばかりの間は曲がるのだ。
植物は、根を張るために地表から動けないと言うが、その幹は自由に曲がる。一旦大きくなったらちょっとやそっとでは折れない。そして、折れても死なない。死んでも蘇る。見習いたいものだ。
半日後にはまた伸びだしておる。上に向かおうという心は素晴らしい。ヒトが自由を求めて生きるようだ。なんか僕が悪者のように感じられるのはなぜ?
伸びてきたのでもう一捻りすることにした。刑務所の悪い看守のような気持ちである。
がんばれ、アボガド君!心のなかでは君を応援しているのだ。
緩やかな彫刻:盆栽の楽しみ
海外でも盆栽は有名だ。シオドア・スタージョンさんの小説に「ゆるやかな彫刻」と言う作品がある。人と社会、人と人、テクノロジー進歩、様々な主題が短いページの中に展開する。
盆栽とは詰将棋をしているようなものだと言う。こうなってほしいという僕の気持ちと、こうなりたいという生命の力。少し時を置くと盆栽なりの意思が説得してくれる。
教育、親子・夫婦、会社でのハラスメント、みな自分なりの伸びたい方向と環境が要求するものの間の駆け引きである。
アボガドをの新芽を曲げ、枝はそこから伸びようとする。過去にどれだけ苦しんだろうか?子供をどんなに曲げようとしただろうか?妻に曲げられようとしたこともあるだろうし、お客様に殺されるところだったこともあった。親戚縁者をころすところだったこともあった。
このアボガドを見るたびにそんな事を考える。
虎視眈々である。
僕の食べ物だろうか?と言う目で見ている。
マユは、食べるものなら容赦しない。
爽快である。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。