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包丁の研ぎ直しに行って、糖尿病になっていた古い友人とあった件。

刺し身包丁の切れが落ちたのでどうするか困っていた。自分で研いでいるのだが、どうも上手く行かない。専門家に頼もうかとは思うが、母の出刃包丁をリストアしてもらったように三条まで行ったら時間も金もかかる。

歩いて10分も遠くないところに刃物を研ぐお店があったので頼むことにした。お店の存在は知っていたのだが、行ってみて驚いた。

完全にプロのお店なのだ。

町中の普通の金物屋さんだと思っていたら、ぜんぜん違うのだ。このお店で親父さんと息子さんが研いでいるのだ。考えてみれば、包丁を使う専門家も多い。ニーズはあるはずである。剪定ばさみとかも良いものが揃っている。

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この中華包丁は取っ手が割れていた。剥がしてつけ直してもらえた。さすがプロである。多分僕の寿命までもつであろう。

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この菜切包丁は平野屋にいた頃に頂いたもの。ものすごく良い包丁だという。もう一本有るのでこちらも研いでもらうことにした。昔の細工はものすごく良いものが多い。断捨離などという言葉を聞くと腹が立つ。僕らはとても大事なものを失ってしまったのだ。

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実は、別な大きなな金物屋さんに最初聞いたのだ。3週間位かかるというではないか、こちらでは一日でやってもらえた。

刺身包丁だけのつもりで行ったのだが、持っていった刃物を見てもらって話を聞いていたら頼もうという気になった。何と母のことを知っていて、ほんわかした気分になったのだ。

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もし刃物を研いでもらうなら、そのお店に「研師さん」がいて、そこで研いでもらえるところに行くと良い。そう思ったのである。

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驚くことはまだあった。

15年くらい前に従兄弟の会社で仕事をしていたのだが、その時にパソコン教室も開いていた。

その時の生徒さんがちょうど来店したのだ。ほんの10分くらいの間の出来事である。

何と糖尿病でインスリンを3本打っているという。向こうも驚いた。ちょうど持っていった僕の本を読んでもらうことにして差し上げた。

ちょうど15年位前に定年になる頃だったので75歳に近いだろうか。

ものすごく痩せていて驚いた。心臓病をなさってから痩せだしてA1cは9.5くらいだと聞いた。

インスリンを打ってもそのくらいというのは明らかに食事の指導が悪い。しかし、医師には食事を指導するノウハウなどない。これを食えあれを食えとは言うが全て抽象的な数値やトクホの宣伝でしかなくなるのだ。食事は恐ろしくパーソナルなのだ。患者の人生そのものであると言ってもいい。それを指導する、変えるなどということが「権威に頼り薬を売る」医師に出来るはずがない。かつては家族が寄り添って、共に苦しんで、「民間療法」や「伝承」を探し何とか食事で共によく生きようと頑張っていたのだ。自分の問題でもあった。しかし、今は全く様変わりした。「お店で売られている食事」の様に「自分の人生」を買うことは出来ないのだ。医学は「家族」の劣悪なコピーでしかない。医者は薬を売って、検査値を正常にする。しかし、すべての人は年老いていく。不老不死を臨もうともそれは無理な話である。やがて見捨てられる。僕は糖尿病の治療の30年と父母の介護で知った。「政治的に正しい栄養学」は患者をくしめて殺している。命を守る行動を取らないと、とんでもない目に合う。

インスリン注射をしていても、何ら病気は治った訳ではない。そもそも糖尿病は身体の状態であり、病気と呼ぶことは間違えている。だれでも、臓器が衰えてくれば検査値は異常になる。そして、よく効く薬は検査値をあっという間に正常にするが、死ぬまで止めることは出来ない。失われた臓器の機能で検査値は異常になるが、その検査値だけを正常にするのだ。臓器の持っている力はますます劣化していって、沢山の検査値が異常になる。

多重投薬というのは、恐ろしいことが起こる。一つの薬は一つの症状(検査値の異常)を治す(変える)が薬の量が多くなれば互いに干渉してハウリングを起こし手がつけられなくなる。

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血糖値というのは食事と身体の状態の相関関係だから、食事こそが重要なのだ。その方の「心臓病」というのも、食事由来の病気であったのかもしれない。

僕らは、徐々に衰えていき、コトリと死ぬように出来ているのだ。身体の構造を考えればそうできているのだ。

だれもが年老いていく。その時に幸せな死に方を出来るか考えている。

誰かのためでなく、自分のために、健康に生きて健康に死にたい。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。