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「ガープの世界」:When I'm Sixty-Four   64歳まで生き延びれたら.....

生涯に一度しかセックスをしなかったジュニー・フィールズの子供ガープの物語である。意識なく死ぬ直前の敵兵士(一等軍曹:TSテクニカルサージェント)の勃起したペニスに跨り受胎した。脳を損傷していた彼は「ガープ」としか言えなかった。とんでもない物語の発端である。

レスリングというのは面白いスポーツである。恋愛がルールのあるレイプであるように、ルールのある殺し合いである。この映画は、人生で襲い来るルールのない「死」についての物語である。

浪人時代に、ちょっと上品なオッパイに惹かれ、古本屋で買った月刊プレイボーイで「始まりの一章」を読んだ。映画の公開はその後であった。

ジョン・リスゴーさん最高である。これ以降はどうもパットしない。この映画のために生まれてきた人のだ。

人生というのは恐ろしい。血まみれで生まれてきて、欲望に満ちた身体の命じるままに、殺し、犯し、傷つけ生きる。この映画では、欲望を満足させう単位としての「家族」を描いている。
スキあれば誰彼なくセックスをするのは「生命の律」である。性別関係なく、動物だろうが植物だろうが愛をささやくのだ。マイクロバイオームが求めて身体というコロニーを動かしているのだ。

犬が、人の足に交尾を迫るのもヒトが猫に頬ずりするのも『間違えている』わけではない。それが身体を統べる「蟲」の求めるものなのだ(笑)。

ガープはベビーシッターといたすのである。”世の中の不幸の殆どは部屋にじっとしていれないから起こる”パスカルだかショーペンハウエルだか、ひどい目に合うのは高名な哲学者も同じである。
インテリ系がスキな方にはたまらない。パートナーの「性」は相手にバレルものである。

「性」を閉じ込める檻としての家庭が失われた時代の象徴である。今につながる多くの関係性の変化が描かれる。女性解放運動のうねり、レイプされ舌を切られたエレン、自ら舌を切り取る女性、登場人物は皆何かを失っている。

メアリー・ベス・ハートさん、最高にエロい。とにかくびっくりする展開である。
人生の偶然は取り返しがつかない。全ての喜びも悲しみも、取り返しなどつかない。

そしてベストセラー作家になった「ジェニー・フィールズ」は傷つき苦しんでいる「人生の患者」を受け入れる。
そして寛解、新たなる喪失。物語は終盤へと一気になだれ込んでいく。

破綻と寛解の物語でもある。

欲望はピンポイントで相手を選ぶ。ヒトは自分の欲望に操られる時、マイノリティとなるのだ。

物語ではマイノリティに対しての暴力が繰り返し描かれる。しかし、どこにも「その他大勢」は描かれていない。そうなのだ、観客の視線が「マジョリティ」なのである。自分が、ガープではないことを気が付かせてくれる。
見ていることがつらい。やがて、訪れる物語りの終わりに観客はひとり取り残される。マジョリティとは、傷つかない所から他人を見捨てる視線なのだ。そして、いつか自分がマイノリティ見捨てられる側である事に気がつくのだ。

プーが象徴するのは何なのだろうか。暗殺者、死神、天使、天罰、誰も逃れることは出来ない。ガープが踏みにじってきた全ての者たちである。誰もがいつか追いつかれるのだ。
レイプされ舌を切られた少女の物語も凄まじい。この映画の中で、登場人物は皆傷ついている。

ジェニー・フィールズは患者を「外傷組External」「内蔵組Vaital Organs」「自失組Absentees」「冥府組goners」と分けた。しかし、ガープによればこの世界では我々は全て死に至る患者なのだ。But in the world according to Garp we are all terminal case

人生は一瞬である。

小説の最終章では全ての人々の落ち着き先が描かれる。僕はここが大好き。

血なまぐさい物語が透明感のある語り口で綴られる。

すべての血は死によって浄化されるのだ。

この映画を見て「When I'm Sixty-Four 64」って恐ろしい曲だなと思ったのは僕だけだろうか。今年3月で62歳になるから残り2年である。

所でなんで64歳なんだろうか。あちらでも年金は65歳からであろうか。作曲された当時は「年金=平穏なリタイヤ」を意味していたのだろうなあ。

あまりに凄まじくて、サンリオの日本語版を読んだ。
ジョンアービングさんの映画化された作品も随分見たが、この映画にはかなわない。小説の下巻の最後のエピローグだけでも読んだほうがいいと思う。素晴らしく好きだ。

人生もエピローグが大切である。自分では見ることが出来はしない。大切なものは、見ることが出来ないものだ。

1982年の映画、東京の名画座で見たはずである。

ロビン・ウイリアムズさん大好きである。だいたいどのも映画も好きだ。
ジュマンジも大好きだ。魂の成長の物語である。良質のタイム・パラドックス物でありながら何ら破綻していない。ラストにはいつも泣く。どうしようもう泣きそうである。ああ、見てみようかな。名作である(続編は止めておいたほうがいい、僕のようにロック様好きならいいが)。
グッドモーニングベトナムも大好きである。人間であろうとして、人々と接しながらも、彼らの生活を破壊する側の一員である事の矛盾。しかし、一番はガープの世界である。
暴力に満ち満ちた世界、喪失、生きる歓びと裏切り、死に至る患者たち。2014年8月11日に自殺してしまった。彼もうどこにもいないと思うと、悲しい。娘さん(ゼルダさん)の悲しみを考えるといたたまれない。

https://masaya50.hatenadiary.jp/entry/20140812/1407823918

カンントリー風だとまた違った味わいがある。64歳まで生きれるといいね。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。