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「バーンアウト、エンパワーメント」、自分で病気に向き合うこと、フロイト的である医療、アドラー的である家庭。

2015年5月眼底網膜症の診断を受け失明を宣告された。食事を変えることで11月には(別な医者で)緊急の手術はいらないと言われた。新しい病院で経過を見ることにした。この時期の食事はとにかく糖質制限を厳しく守り、血糖値を測りA1cHは正常にして身体は糖尿病でも、食事から炭水化物を外すことで血糖値の範囲を「健常者」と同じにしようと考えていた。

そして毎月診察を受けて半年が過ぎた頃、問題が判明した。「黄斑部浮腫」が指摘されたのだ。これは失明につながる問題で手術も必要になるといわれた。

その時の病院からの帰り道をよく覚えている。歩いて家まで帰りながら途方に暮れていた。あれだけ頑張っていたのに駄目だと言われたのだ。半年前に母は亡くなりもう何でも良くなった。

バーンアウトとは自分の価値を信じれなくなること

医学書によると「治療中段」をバーンアウトと結びつけることが多い。そして、それを避けるのがエンパワーメント(褒め殺し)である。僕は全く間違えていると思う。医師に褒められるためによく聞く薬を飲み、検査値を正常にしていることはそれで健康になっているような気がする。

しかし、問題はその先である。永遠の命はない、いずれ検査値はよく効く薬でも効かなくなる。その時に自分自身の姿に向き合えなければならないのだ。


フロイト的とは、科学が全てを解明しているという誤解

医師も信じているから、どうしようもない。残念ながら、医学が解明していると思いこんでいるのは「偏差値的傾向」でしかない。

一人ひとりの患者はみな違う。患者は自分で自分と向き合うほかないのだ。フロイトは、あなたの内側をあなた以上に知っているとフェイクして金を儲ける方法を医学に与えた。

確かに、あの当時の医学は全知全能だったかもしれない。しかし、今は違う。医学が何も分かっていないことは明らかである。今の私達がどんな死に方をしているかを見ればわかる。何種類ものよく効く薬を飲ませられ検査値を正常にしても、同じような手術を繰り返し、「輸液・経管・胃瘻」の辛い死に方をする。

アドラー的とは、見放すが見捨てないこと、家族であること

アドラーという哲学者は不思議だ。患者を見放すのだ。自分にはあなたの未来をどうにも出来ないと見放すのだ。だから患者は自分で向き合うことが出来るのだ。

そして、患者自身の価値を認めるのだ。どう生きてきたかを理解することで力づけることが出来る。

バーンアウト


そして今の僕は自分で自分の未来を見つめる

もう、医師の診断は受け無いことにした。徹底的に学んだ。そして自分の身体に適用して効果があるかを見つめた。

毎日食事を作り、身体にどんな影響があるかも調べた。医学的な学説が自分には当てはまらないことも知った。

今も、あの医者からの帰り道を思い出す。

自分には、医師の診断を受ける患者以上の価値があるのだと信じることが出来なければならない。

医師の出来ることはごく僅かだ。もう僕は一切健康診断も行かない。検査値を正常にしてもいずれ追いつかれる。ならば自分の信じる生き方をしたほうがいい。


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。