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アレルギーとは何か(2)、チーズサンド、トマト、ポテサラ、

アレルギーとは、『自分が自分であるための食事を見つける長い旅』における試金石なのだ。時とともに世界は変わり、「身体というコロニー」も変わる。多くのマイクロバイオームが入ってきては出ていき、死んで生まれ、勢力は変わり続ける。戦国時代の様に互いに食い合いながら最も自分を強くしようとする。

小さい頃か果物を食べれなかった。色々なトラブルがどうやら果物に起因するような気がするので、少し食事を変えてみることにしたのである。

「身体という地区予選」で勝ち抜いてこそ世界というチャンピオンシップに出場できる。


昨年からこちら、食事が変わった。当然、体重も変わり多くの変化があった。何よりも酒を飲まなくなった。これが良いことなのか悪いことなのかはわからない。妻にはい良いことなのであろうが、世界と戦っていく大事な武器を失ったのである(笑)。

仕事はうまく行かず、もう引退の年齢なのである。

僕が若い頃、母は父方の叔父に酒をやめさせたいと頼んだと聞いた。叔父はそんな事は言わなくて良い、「辞める時が来れば自然と辞めるものだ」と答えたという。母や妻に、辞めろ辞めろと言われるたびに酷く飲んだものである。客先に呼びつけられて一日待ちぼうけをくらい一言で請求をはねられたりしたら飲みたくもなる。そいういう裏を知らないで酒を飲んでいる姿ばかり非難されたら辛いものである。言い訳でしかないが、それ以外の生き方ができなかったのである。コロナは丁度良かった。仕事が破壊されて、もう何も残っていない。自暴自棄に酒のんで壊れるのではなく、別な道が見つかったのである。母の思し召しである。

国体の仕事がなくなったら気が楽になった。面白いものである。
あと少しサーバーで動く仕事はあるが、金のためではない。妻のパートと娘の助け頼って最低限の人生を生きることにしたのだ。生命保険と僕名義に残された父母の家は皆娘のものとすることにして人生のバランしシートが釣り合ったようである。


糖尿病と言うアレルギーのお話。

アレルギというのは身体で食事をうまく調和させることができなくなる現象である。しかし、これは病気ではない。もう戻れない「身体の状態」なのである。無論インスリンを注射しても食事をそのままにできるが、よく効きすぎる薬は多くの問題を生む。
食事を見つけて苦しまないですむ道を見つけねばならない。バーンスタイン博士の生き方である。

食事が身体に大きな影響を与えるのは仕方がないことなのである。それは自分自身という存在を担保するものなのだ。とてもいいことなのである。


朝は妻のポテサラ。

かなり美味しかった。
スイカは大丈夫なようである。
柑橘とブドウはダメだ。
ミルクも飲めなくなった。
卵焼きに栗ご飯。
栗ご飯は、妻の手製である。
卵豆腐に昆布巻きである。
鮭は明日食べる。
スイカはもう秋の味である。

2023/08/23

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。