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コールドケース(米版)にやられた。LGBTQのヘイトクライムの回

決して過去ではないからドラマである意味が有るのだ。

昨晩見たのは、はLDGBTQに対しての殺人(ヘイトクライム)のお話であった。

ここで描かラている物語決して遠い過去ではない。過去の未解決事件(コールドケース)を今の視点から解決するというプロセスを描きながら、今という時代を描いているのだ。

犯罪は時代を反映している。マイノリティに対しての犯罪が過去において見逃されやすいというのは、私達の内に自分と違うものは排除して当たり前だという「律」があるのだ。

そして犯罪はコミュニティにおけるパワーゲーム(力比べ)の反映である。マイノリティはいつまでもマイノリティではない。何がこの社会のダイナニズムの原動力なのだろうか。やっぱ、マイクロバイオームであろうか(笑)。

人を「愛と憎しみ」を通じて操るのは身体の内に住む蟲なのだ。

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LDGBTQは『聖書(DNA)に書かれている「正しいヒト」から逸脱しているから、治療しなければ犯罪』なのだ。と真面目にそう考えている遺伝学者もいる。しかしながら、今の所DNA上に正しいヒトなどという物は見つかっていない。環境に対して変わりながら生きることこそが生命の「律」なのだ。

DNAは細胞のプロトコルであり、DNA自身がしょっちゅう入れ替わり変化して行く。それこそが環境に対しての適応であり、老化であり、寛解である。医学は病気というが、世界に向き合って変わっていくことは病気ではない。

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コールドケースの秀逸

このドラマ、描き方が、素敵である。過去のその人を演じる俳優さんと今の俳優さんが、ラストでは、一瞬入れ替わり、シーンが変わる。それがまた素晴らしい。

殺されたゲイの当時の恋人が、彼の母親にあって言う言葉が素晴らしい。『時に偽っていたかもしれないが、彼は自分を嫌わなかった。自分には権利があると信じていた』すでに年老いた「母親と殺された息子の恋人」が向かい合うシーンである。泣けて仕方がない。グショグショである。

ああ、妻と子供がいない時に見ないと恥ずかしい。

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S1 7話 「ドラッグクイーン」第一話も泣けたが、これもいい。DVDにならないのが残念

主人公の捜査官、綺麗だしな。やっぱそこか。

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ヒトには性別はいくつあるのか

ヒトは性別を2つにしか分けて見れない。しかし、実際には遥かに多くの「性」が存在するのだ。雄と雌で交尾して子どもが出来るのは7人くらいであろう。父母の兄弟はそのくらいである。しかし遥かにそれ以上の交尾を行う。つまり、子どもを生むために僕らは交尾をするわけではない。

排卵などというメカニズムも荻野久作博士が大正時代に発見するまでは分かられていなかった。ちなみに博士は新潟の市民で彼の功績をたたえて新潟市内には「オギノ通り」と言う道がある。子どもはコウノトリが運んでくるものだったのである。

相手かわわず交尾したくなるのも異状ではない。しかし、宗教は結婚外の後尾を厳しく禁ずる。おそらく、性感染症からの防衛であったのであろう。その意味ではコンドームが不倫を生んだのである(笑)。それ以前に家という単位が「企業・商店・農家」と言う生産の単位ではなくなったために、食と性に対しての強制力を持たなくなったのである。

僕はこれを『貪欲を戒める檻』とよんでいる。シェルターであり降りである存在としての「家族」この崩壊はグローバリズムのなせる技であり、私たちは開放されたと大喜びであった。

身体の内側のマイクロバイオームは見境なしに引っ越したがるのである。

だから、突然年取って美少年と交尾したくなっても、それはおかしなことではない。やめておいたほうがいいが、その葛藤のうちにこそ文学が有る。


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食事とセックスは同じ律に従う

老眼で、おまけに視力も弱り、近くで見なければ字幕が辛い。一杯やりながら見ていると丁度いい。今日はレンコンと挽き肉の合わせ焼きだ、レンコンは蒸しておいたほうがいい。

僕は毎日食事を作る。食材のうちの生命を大事にした食事である。輪廻転生とは食物連鎖の内からその人にとって大事なものを受け取る食事のことである。

「身土不二、一物全体食」いずれも素晴らしい食養法である。僕は食事哲学者に学ぶ。

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そして毎日作ることがいかに困難であるか、実践しているのだ。

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コールドケースって日本でリメイクされいると聞くが、見るのが怖い。

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#コールドケース

#LGBTQ

#ヘイトクライム


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。