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トリチュウムは安全であると大合唱する世の中の違和感

そもそも、原子力の放射能は完全に封じ込める約束であったはずである。
決してそうはなっていない。
世界でそうなっていないから良いのだというのは余りに無責任である。
当初の約束では、漁民の合意を待つと言っていたはずなのに「丁寧に説明する」の一言である。
同じことを繰り返すことが丁寧と言う意味のようである。

そもそも、原発の事故は起こらないということであったはずだが、想定外であるという一言で免責される。
アメリカやカナダは良いと言ってくれているとといえば世界が許してくれていると思う浅はかさ。

環境問題は大きな政治の問題である。もはや後戻りはできないかもしれない。これからどんな影響があるかはわからないのである。
原発はもはや後戻りできないところまで進んでいるのである。

IAEAが科学的に安全だと言ったと言うが、そりゃそうである。原子力を飯の種にしている方々にとってみれば、IAEAは救いの神である。

大事なことは、事故は起こらないと言っていたのに起こったということを忘れないことである。丁寧に理解を得た上で放出させると言っていたのに、そうはなっていない事を忘れないことである。

国家というのは二枚舌である。良いことを言って、札束でビンタする。
やがて苦しむのは子どもたちの世界である。


福一は遠くに行ってしまった。
すぐに近くにまた来てくれるあろうや。

2023/08/29


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。