金メダリストが豪邸に住み、別荘を建てるのは当たり前なのか?:格差の方程式
リストラが跋扈し、安い時給で生活もままならぬ。そうして出来た金を企業は宣伝に使う。スポーツ選手の豪邸や別荘はその金から出ていることを忘れないことだ。
彼らは何も生まない。
僕らの生活の苦しさの金で豪邸が建つのだ。
優秀だから、世界一だから年収が何億にもなってもいいのか?いくら募金活動にせいを出しても自家用ジェットを買ってお買い物だ。募金活動で「いい人」と言う称号が買える。果ては国会議員にもなるやにしれん。
スポーツは素晴らしい。大事なものだ。それを否定するつもりはない。企業は、自分の会社のイメージアップするつもりなら、社員の時給を上げたほうがいい。社員のリストラは経営者の首を切ってからにするがよろしい。だって、経営者が無能だからリストラするはめになる。
新潟金属のストライキの頃の僕(右)。この後会社は倒産させられて、散り散りになる。手取り15万円でベースアップ5000円、能力がないから、馬鹿だから仕方ないと思うだろうが、彼らは素晴らしい人達だった。僕の親方は小学校しか出ていなかったけど素晴らしい人格者で、工場の誰もが慕っていた。嘘つきばかりの世間にくたくたになった時、あの工場を通り抜ける風を思い出す。
かつて皆貧しかった時代があった。
その時代のオリンピックは、スポーツ選手の姿が、生きる勇気をくれた。
いつの間にやら、オリンピックが選手の品評会となった。「広告代理店」や「企業」は金を取った選手を買い漁る。競技会を開催するスポーツ協会にも銭が落ちる。
スポーツという「パブリックな価値」に税金をつぎ込み、大学の教授にもなる。金メダル取れば国会議員にでもなれるのだ。
その金は誰が出している。リストラに低賃金で利益を上げた企業が「広告宣伝費」と言う勘定科目を通じて「税金の網の目」をすり抜けて、経営者の利益へと返信させる。
企業は利益が出なければ投資はしない。結局は、大喜びで商品を買う僕らが悪い。
スポーツの価値とは
僕は、地域で人々に技術を伝え、喜びを共にするコーチたちのほうがよっぽど立派だと思う。数千円の会費で子どもたちに素晴らしさを教えること。
僕はこのスクールで泳げるようになった。13年前のことだ。糖尿病の運動療法と脅迫されて始めたが、今では水泳大好きである。縁あってwebを作らせてもらった。
スポーツは素晴らしい。スポーツは喜びだ。僕は大好きだ。
時に苦しさを乗り越える勇気を与えてくれる。共に戦う事を学ぶことが出来る。
スポーツの魅力にとらわれるヒトは多い。しかし、生活は難しい。やがてアスリートの残骸は政権に忖度して、醜い姿を晒す。金メダリストと言っても脳みそは高校生のままだ。人生も学ばず上の言うことを聞く体育会気質、日本の縮図でも有る。
そんな素晴らしい物を「企業の傀儡」となって物を売る道具路するのがオリンピックだ。
僕はオリンピックが大嫌いだ。
「パブリック=共通の価値」はいつの頃からか金を集める薄くて広い網になってしまった。生活の中で少しずつ集められた金は大きな流れになって選手を富豪にして、有象無象をそこに集める。
そして、選手は金を集められなくなったらポイされるのだ。
いちばん大事な問題は、そこで生きる選手たちだ。そして、僕らの問題とも重なるのだ。
世の中を知らない選手に金もたせたら碌なことはない。このシリーズはアメラグスター選手のアフターライフ(選手引退後の生活)を描いている。ちなみにドゥエインジョンソンさん、僕大好き。
誰でも引退する時は来る。その後はどうすれば良いのだろうか。
相撲の選手は「ちゃんこ鍋屋」さん開くことが多いそうだけどね。
競技団体の職員に残れるアスリートは30%と言われる。プロ契約で集まった金をもっとスポーツ選手のコミュニティに落とす方法はないのだろうか?アマチュア協会では「親分風吹かせた監督」が代表選手の選考をする。選手がメダル取れば、自分お手柄のように振る舞い、国からの助成金はアップする。そして選手を商品のように扱う。
オリンピックをなにか素晴らしいもののように扱う僕らが悪い。この姿は、高校野球なんかにも見ることが出来る。
この選手凄い
プロ契約も何もしないで自分の人生の中でスポーツと向き合うのって素晴らしい。企業や代理店にしゃぶり尽くされなければ良いのだが。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。