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豚足の思い出 その2 生命を食べるということ。料理作りはデズニーランドより楽しい。

豚足を解凍して捌いた。正直気持ち悪い。豚が生きているときのことを想像するからだ。しかし。いつか感じ取るようになる。食事とは生命を食べているのだ。食べ物さんの細胞は僕の中に入ってきて僕の細胞になる。

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料理作りは何よりも楽しい。「生命を食べ物さんから受け取る」ことを実感できる。

食べるということは、生き物を殺すことではない、食べ物さんは食べられた生命の中で生きるのだ。輪廻転生とはこの事だ。

今日は2回めの豚足の日であった。

お盆なのでね、作ったのだ。だんだん上手になる、今年中にあと3回くらい作ると思う。


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友人にお孫さんが生まれたということでプレゼントである(笑)。

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「食物連鎖」を「弱肉強食」として見る『生命科学』は間違えている。

こんな本が大学の教科書である。人類は死んだら細菌に分解されないのか?マイクロバイオームは私達を腐らせ土に戻す。こんなアタリマエのことも教えないのか?馬鹿なのか、こんな本で生命を教えられるとでも思うのか?まあ、人の商売邪魔する気はないが、こういう人たちが教えている政治的に正しい栄養学が私達を殺すのだ(注)。

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食育と言うが、「なにが健康に良いかという知識」を学ばせると思っている輩が多すぎる。だから、食べ物を粗末にしても気にならんのだ。ワンコインで食べることの出来るものはワンコインの価値しかない。

僕の絵のほうがよっぽどいいこと書いている。私達も死ねば土に戻り、別な生き物の身体となり生きるのだ。

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人生は練習である。生まれたとき方料理を作れる人はいない。

日常的に魚をさばく最初は辛かったがだんだん楽しさが分かるようになってきた。食事の価値を信じて諦めないことだ。定年になったら時間あるからそれからでもいい。ただ、早いほうがもっといい。

6月にマグロのカマを手に入れて食べた。このときも楽しかった。


僕は母の使っていた包丁を使っている。


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一回目の「豚足の思い出」はこちら

政治的に正しい栄養学が私達を殺す

食事行政の拡大は栄養士の数の拡大から見て取れる。変えることが難しいのは分かるが、まずははじめなければならない。自分自身の問題だ。


この本のP3から引用

2014年に何度目かの増刷されている。恥ずかしくないのかねえ。もっと真面目に生命を考えてもらいたい。

とは言っても年寄りの言いなりになる他ないのがこの社会の常である。きっと食べ物を粗末にすることを教えているこの連中は辛い人生の終りを迎える。統計的に私達は何度も同じような手術を繰り返し、検査値を正常にする薬を何種類も飲まされて「輸液・経管・胃瘻」の人生の終りを迎える。

この本

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。