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モーツァルト『魔笛』あれこれ④ タイトルロール

「タイトルロール」とは、作品名と同じ名前の役のことです。ほとんどの作品ではタイトルロールが主人公であり、役柄でタイトルロールといえば主役を指すことになります。

マクベス、オテッロ、アイーダ、ファルスタッフ、タンホイザー、ローエングリン、ジークフリートなどがこれにあたります。

作品タイトルがロール名でないが明らかにその人を指す、という場合もこの例に含めていいかもしれません。

「椿姫」ヴィオレッタ
「セヴィリアの理髪師」フィガロ
「イル・トロヴァトーレ」マンリーコ
「ワルキューレ」ブリュンヒルデ
など。

さてここで質問。「魔笛」の主人公は誰でしょう?タミーノ?パパゲーノ?いろんな意見があると思います。成長物語と考えればタミーノだ、というのが順当かもしれません。タミーノが魔法の笛と共に成長した、ということを考えあわせればタイトルの「魔笛」自体が主人公(主物公?)と言えなくもありません。そこで今回は「魔笛」を主人公として捉えてみることにします。つまり「タイトルロール」です!

最初に「魔笛」が登場するのは1幕No.5の五重唱、タミーノへの女王からの贈り物として、第一の侍女から渡されます。この笛については

「この魔笛はあなたを護ります。
大変な不幸でも支えてくれます。
これを使えば何でもできます。
人の情熱も操れます。
悲しい人も嬉しくなり、
やもめも愛を知るでしょう。」

と説明がなされ、その場にいる5人は

「おおこの笛は金や王冠より貴い。
平和と人の幸せを増やしてくれるのだから。」

と唱和します。しかしこの時点でこの笛の音を聞くことはありません。まだタミーノが吹くわけでもないし、このナンバーでは実際の音を担当するフルートはお休みなんです。

「魔笛」としての音を聞けるのは、1幕フィナーレ、パミーナが生きていると知って、喜びを笛に託して吹く場面です。フルートの存在はここまで敢えて目立たないようにしてたのでしょう。

「なんたる強い魔法の音
やさしい笛をひとたび吹けば
森の獣さえに喜びに満ちる
でも、パミーナだけがいない、、」

1幕フィナーレ、フルートを吹きながらタミーノが歌う

この笛を吹くとたちまちありとあらゆる獣たちがやって来てその音に耳を傾けます。動物のこころも和ませてしまう笛なのですね。パパゲーノと共に「そらしどれ」という音型で会話し合ったりもします。

その後ザラストロの試練に向かうときには、この笛とパパゲーノの鈴は取り上げられています。そして「沈黙の試練」実施中の二人のもとに童子たちがやってきて、笛と鈴を返してくれます(No.16) 。これが戻ってきたことは今後の2人の運命に大きな役割を果たします。ここでタミーノは喋れないのなら笛を吹くのはいいだろう、と演奏を始めます。

この場面ではフルートが1幕フィナーレの節を吹くことが多いですね。童子たちにゴールは近いと励まされた彼が、動物をも制御した明るいメロディーを吹くのは理にかなっています。ところが新国立劇場のケントリッジ演出ではモーツァルトのフルート四重奏曲第1番KV285の第2楽章のメロディーを吹きます。

KV285 第2楽章

弦のピチカートの上にフルートの情緒纏綿たる悲歌が流れる、モーツァルトのフルート四重奏の中でも屈指の名作です。これをパミーナに会えない悲しみの表現としてここで吹くのです。この音に誘われてパミーナがやってきますが、彼女の質問に答えられないタミーノは無言や無視ではなく、笛の音で反応するのです。「タイトルロール」としての存在感を出すのにも貢献しており、大変素晴らしいアイディアだと思います。

2幕フィナーレでパミーナと出会えたタミーノは二人で残る2つの試練に向かっていきます。パミーナは

「魔法の笛を吹いて。
この笛は私たちの行く道を守ってくれます。
この笛は私の父が、1000年の樫の根っこから
嵐、稲妻、雷鳴が、ごうごう轟く魔法の刻に作ったものです。」

と「魔笛」の由来の話をします。オペラには登場しない「パミーナの父」にも言及されます。

2幕フィナーレ、魔笛の由来について歌うパミーナ


パミーナの父、すなわち夜の女王の夫の存在は彼女が語るテキストが通常カットされるため、それほど認識されていません。彼女の夫がザラストロに渡した「太陽の環」は権力のシンボルです。「太陽の環」の話は女王2幕アリアの前に語られるのですが、唐突なため何のことやらわからないかもしれませんね。夜の女王とザラストロは単にパミーナの保護をめぐる争いというより権力闘争と言った方がいいかもしれません。

魔法の笛もパミーナの父の潜在的な権力の中にあります。この笛は「魔法の刻に作られ」ており、タミーノを導くパミーナの父の意思が込められているのです。夜の女王は夫の作った笛の力を当然知っていて、それをタミーノに渡したのでした。その目的はパミーナを取り戻し、ザラストロを打ち砕き、「太陽の環」を奪還し、世界征服を成し遂げること。しかしパミーナの父が込めた願いは、もっと大きな野望、すなわち世界平和、神の秩序の達成だったのです。

きっとこの場面でのパミーナは父の大きな願望を慮れる魂の成長を遂げていると、私は思います。父の想いのこもった笛と共に、愛する彼と共に歩む、という決意の中で歌う姿にはもう、アリアで絶望していた、短剣で死のうとしていた、そんなパミーナを見出すことはできません。

そしてタミーノも、そんな彼女の強い意思を感じとったことでしょう。同じ想いを胸に抱きながら、想いのこもった笛を吹きながら「火の試練」「水の試練」を二人は進んでいきます。

笛を吹きながら試練を進む。曲には"Marsch”(マーチ)とある。

試練をやり遂げた二人は、イシスの祝福を受け神殿に入っていきます。内容的にはここでオペラが終わってもいっこうに構わないとおもうのですが、、やはりパパゲーノのその後も気になるってことで、パパゲーナとの出会い、そして夜の女王の地獄堕ち、大団円へと向かっていくのです。魂の成長を遂げたカップル、ダメダメだったけど結局幸せになったカップル、どっちもよろしいじゃないですか!っていうのが、ただのザラストロ教団讃歌で終わらない、このオペラのエンディングの素晴らしいところです。

「魔笛」についてこうして見てくると、その出番はそれほど多いとは言えませんが、その存在感は「タイトルロール」に相応しいと言えるでしょう。

最後に、魔笛の音というわけではありませんが、夜の女王の2幕アリア後半でフルートが歌とユニゾンで吹く箇所について考察します。

2幕夜の女王アリア後半、フルートが歌唱声部とユニゾンで演奏する。

このフルート、なくても成立すると思うのですよ。でも敢えてユニゾンでフルートを重ねているんだと私は考えています。もとよりこのアリアは魔力的と言えませんか?あんなに高い音を出すし、内容が異常だし、一種異様な世界観を持つ歌ですよ!この魔力的な最後の美しいフレーズを歌うのに、夫が「魔法の刻」に作った笛の力を借りながら歌ってるんです。ここを歌う夜の女王は音程もニュアンスもフルートと一体にならなければいけません。それが「ザラストロを殺せ!」という異常なまでに激しい娘への要求を強化するのです。

以上、タイトルロール「魔笛」の考察でした。

その⑤へ続く、、





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