これは現実の話・僕がバイトをやめるまで③

第2章 琵琶湖はどこだ!

 前回から一週間も更新しなかったのには我ながらびっくりです。ニートには一日も一週間も一ヶ月も関係ない。そして一年十年と続いていくワケ。今の時点で京都にはめったに戻らず実家で『町山智浩の映画塾』をYoutubeで見ながらソリティアをしてばかりいるので、どうやら私は立派な子供部屋オジサン。どうなることやら。
 で、どうしてこうなったかの続き。(いや、実は色々あったんだけど)

 目的地も決めず、スマホも捨てて京都駅に着いたんじゃ、どこへ行こうかどころか何をどうして良いか分からないのである。朝の七時じゃ開いてる店だってない。
 本を四冊も持って来ているんだから、何か手がかりにしようかと思ったが、その内一冊は読んで四人が発狂したなんて噂がある本です。どこへ行けというんだ!
まあその本の題名は長崎地方の方言らしいし、『怪獣使いと少年』持って来てるんなら沖縄か東京だろうか。だが長崎・沖縄は遠すぎる気がした。東京はといえば、自粛警察が今ワイルド7のようになっていると聞いていたので怖かった。奴らが来たなら戸を閉めろ! と阿久悠先生は仰ってたが、閉める戸が無きゃ歯が建たぬ。
 なんて、ワイルド7のこと考えてるんじゃ心が荒み切ってるということだ。逮捕の前に退治の人達だもんね。心を落ち着かせよう。
 心を落ち着かせるにはどうすれば良いか。心を落ち着かせるとはどういうことか。
Gガンダム世代としては『明鏡止水』と言うフレーズが思い出されるところ。
 じゃあ水を見に行こうか。関西で水なんて琵琶湖にしかないじゃないか! と意味不明な暴論をふかしつつ、行き先を琵琶湖に決めたのでした。

 まぁ、前回書いた通り琵琶湖には良くも悪くも思い出がいっぱい。取りあえず一周して心を落ち着かせよう。淀川の源流を見つけたら下って行こう。そしたらやがて実家に辿り着くはずだから、そしたら引き返すなり何なりしてまた逃げよう。
 なんて具合に、僕は琵琶湖を目指すことにしました。
 学生時代、琵琶湖脇にあるホテルで、新郎新婦にピンスポを当てるバイトをしていた記憶から、京都駅から琵琶湖に行けるのは間違いないと確信。
 どこをどう行ったかは覚えてないが、僕が滋賀で降りた覚えがある駅っの名前って草津・膳所・長浜しかないや……。

 と、言うわけで琵琶湖線に乗って草津に向かいました。
 そこに琵琶湖はありませんでした。

 後から知ったのですが、湖西線に乗らないと琵琶湖の近くには行けないらしいですね。
 それに草津に行ったのって確か五回生の頃、その後八ヶ月で辞めることとなる内定先の食品会社から『強制ではないけど滋賀の工場で恵方巻作りまくるんで、研修がてら来なさい』と言われて、僕含めて五人くらいしか来なかったとこだ! 30人は新入社員居たはずなのに!(強制ではないのだから良いのだ)12時間キュウリを並べた。
 あの時は駅前の本屋で『特撮ニュータイプ』を立ち読みしながら
「なんだ。電車に乗るって言っても、ちゃんとバイクあるんじゃん今度のライダー」
「今年の戦隊のロボ、スマートでカチョイイ……、ってか平田裕香出るの!?」
 とか騒いでいたなぁなんて思い出していたが、その本屋の在るショッピングモール的なとこはまだ開いてない。なんせこの時点で8時ジャストと行ったところ。調べたわけでは無いけれど、御時世的に喫茶店でモーニングなんてことしようにも開いてるとこないだろうしなぁ。腰据えて落ち着いて考えられる場所ないかなぁ?
 なんて考えること自体億劫だったのです。だから取りあえず歩き始めた。
 一応目標と言うか、京都から草津に向かうまでに……、大津か石川とか言ったかな? 駅から大きな川が見えてたのですよ。川があるなら湖も近いだろうと言う短絡思考から、草津から大津目指して歩いて戻ることにしたのです。電車に乗り直して戻るのは、なんか癪に触ったし。
 そんなわけで町の中をぐるぐると、取りあえずは大きな国道らしきところを探すか、とやってるうちに方向感覚が狂って、大津の方を目指そうにも今自分がどこにいるか分からなくなるまで、10分と掛かりませんでした。一応道筋らしき看板が見える大通りに着いた時には、その日の余りの転機の良さで、明け方それなりに厚着をしていたことを後悔しつつ、これも意味もなく服を脱ぐのが癪にさわり、汗だくになる方を選びました。

 兎も角無心になって歩くのが好きな僕を、僕を知っている人は御存知かと思いますが、実際鳥居がいっぱいの神社があったら通るとか、コロナ騒ぎの中24時間営業を続けている怪しい中古ビデオショップに寄ってみる(なんか怖くて中には入れなかった)などはしていたんですが、他に取り立てて思い出せる思い出は無い。あとは全品70円セールのGEOを発見して、レンタルビデオ屋で何年も働いてた身の上としては複雑にな気分に。
 それにしても同じレンタルビデオ店で日銭を稼いでたオタク系クリエイターと大枠では同じなのに、タランティーノとは天と地以上の差だよな!
 
 話を戻そう。
 生まれて初めて意図的に無断欠勤したことへの多少の後ろめたさで食欲も湧かず、ひたすらひたすらに歩き続けていた僕。まあ空腹を一瞬感じても、せっかく(僕としては)大それたことをした初日にチェーン店で最初の食事を済ませたくねーなーなんてワガママを言いつつ、8時や9時では他に開いてる店も無く、案の定『休業中』『閉店しました』と貼ってあるシャッターを山ほど見た。

そうこうして言る内に9時半頃か。開いてるスーパーを見つけました。滋賀だっかたら恐らく平和堂だったろう。滋賀と言ったら平和堂である。と、滋賀県民の友人からは聞いているし、事実いたるところにあの鳩飛んでるのが見えました。なにしろ大きなスーパーだ。琵琶湖に着いたその後で、行き先を決める何かはあるかもしれない。(スーパーに夢見過ぎだ)
さて、5月8日金曜日のスーパー、自動ドアの向こうで行っているものと言えば?
 母の日フェアである。
一応スマホを置いてく前に『ゴメン』とだけLINEで送ったのだが、考えてみれば送れば心配するじゃないか! とその時慌てて気付いた僕は、橋って平和堂を逃げた。
何やってんだ、と責め立てられた気にもなったのかもしれない。
そっから先は心なし、速足だった気もする。
 10分も経たぬうちに、平和堂とはまた別の、大きなスーパーを見つけた。侮れませんね、滋賀。
 そこに入ったのはつまり、そこに至るまでに公衆電話が見当たらなかったからです。21世紀も20年経ちますし仕方ないね。
 運よく公衆電話を見つけたんで、10円入れて自宅へコール。しばらく待つと母親の『モシモシ? モシモーシ!』と大きな声。
 あ、ショックで倒れてたりはしなかった、取りあえず良かった。と、思った途端にガチャリツーツー。10円ってこんなに時間持たなかったのか。何年も使って個なったし忘れてたな。
 なんて思いながら、再び歩き続けたのでした。
 さすがに最寄りの郵便局で、一応なにか連絡せねばと官製はがきを

 滋賀の地理に詳しい人には時間的矛盾とか、なにかおかしいぞと思える部分があるかもしれません。一ヶ月以上たって記憶が曖昧になってしまってるからというより、曖昧な思考状態でウロウロしてたからです。
 途中、『絶対借りられれない・借りても返せない土地の図書館・TUTAYAに寄る』と言う趣味を果たしたのは覚えてるのですが、そこに何が並んでいたかも思い出せない。大きな橋を二回渡ったのですが、橋や川の名前も思い出せません。どちらかの橋から大きなショッピングモールが見えて
「この辺の高校生はきっとこの辺で初デートしたり、初デートがここだったって理由で分かれたりするんだろうなぁ」
 とかほくそ笑んでた青春と言う概念に嫉妬するオッサンらしい醜さを発揮していたのは確かなのですが。
 恐らく同じところをウロウロしてもいたでしょう。コロナ禍でも条件付き(従業員の服装、サービス内容など)で続けてる漫画喫茶を見つけて、いざとなったらここまで戻るかと思いつつ……11時過ぎくらいだったかな? 

 『ここは湖岸公園』

 的な看板が見えました。やっとだ。
琵琶湖と言っても端の方、ほとんど川にしか見えない。船やら何やらは見えるし、成程簡単な遊具やベンチもある。そして子供たちが遊んでいる。
こんなところで中年のオッサンがうろついているのは何もしなくても事案であるが、3、4時間歩きっ放しでへとへとだ。許してください☆いっそ捕まえてみやがれとばかりに屋根付きのベンチに座った。
 さて、落ち着いたところで……、と買ったハガキに母の日の手紙というか、時間差の書置き、万が一の場合遺書にもなりそうなのを書き始めたその時である。
 となりのベンチ。しっかりとソーシャルディスタンス越しに、お年を召したご婦人に声を掛けられた。
どれくらいお年を召していらしたかと言うと、御婦人、歯を二本ほどしかお持ちで無かったのだ……。

<つづく>

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