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田原イコール物語2「クアラルンプールからペナンへ」

僕が最初に海外へ旅行したのは35歳のときだ。台湾へ2泊3日で旅行したときに衝撃を受けた。見慣れない雰囲気に囲まれたときに、感性が開いていく実感があった。同時に、繰り返しの日常の中で感性が閉じていたことにも気づいた。どうして、もっと早く海外へ出なかったのだろうかと思った。

それ以来、長期休みのときには、できるだけ海外へ行くことにした。次に行ったのがペナン島だった。ご飯を食べたり、買い物をしたり、現地の人と話したり、すべてが楽しくて4日間がずっと興奮状態だった。多民族国家のマレーシアのカオスな雰囲気に魅せられてしまった。その後、ランカウイ島、コタキナバル(ボルネオ島)など、長期休みのたびにマレーシアの各地を旅行した。いつかマレーシアに住んでみたいなと思うようになり、ビザのことを調べたりしていた。

東日本大震災の後、日本という自分の初期設定から出ようと思ったとき、行き先の第1候補はマレーシアだった。一度も行ったことのない国だと住むイメージが沸かないが、マレーシアには何度も通っていたので、住むイメージが沸いた。エージェントにビザ取得をお願いし、2011年の夏、マレーシアの首都クアラルンプールへ1カ月滞在した。

海外留学も、海外移住もしたことがなかったので、分からないことだらけで、とりあえずエージェントが頼りだった。エージェントの事務所がクアラルンプールにあったので、何かあったらサポートをお願いできるようにクアラルンプールに住むことにした。日本人の駐在が多いモントキアラという地域にコンドミニアムを借りた。

常識が全く異なる環境に住むことになり、大人になるまでに身に着けた生活ノウハウがリセットされた。ガソリンをどうやって入れたらいい?電気代はどこで払えばいい?お店での注文はどうやったらいい?あらゆることがやり方が分からない状態だった。中学生からやり直しだなと思った。

クアラルンプールは大都市で、高層コンドミニアムが立ち並び、高速道路が張り巡らされ、大規模ショッピングモールで買い物するという生活だった。マレーシアでの生活には慣れてきたが、山や海のない環境に、だんだんとストレスを感じるようになってきた。家族の健康状態も悪くなってきた。この場所に住み続けられるのだろうか?と不安になってきた。そんなときに、ふっと思いついた。

そうだ、ペナン島に移住しよう。

かつて旅行に行った時の楽しかった思い出が蘇った。10か月のマレーシア生活で、エージェントがいなくてもなんとかやっていける自信もついてきた。

2012年7月、ペナン島に移住した。ペナン島にはよい気が流れている。この土地では身体がゆるみ、感性が開く。海と山とに囲まれた人間らしい生活を送る中で、落ち着きを取り戻した。多民族、多宗教、多言語のこの土地で、結局、10年間暮らすことになった。ペナンの空気や文化を吸って10年間考え続けたおかげで、日本で生まれ育った初期設定を相対化することができた。

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