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創刊時から執筆してきたフリーペーパー『R25』のライター事情

またひとつの時代が終わる。かつて首都圏で社会現象を巻き起こした『R25』が完全終了することになったからだ。

『R25』は2004年7月1日にリクルートが創刊したフリーペーパーで、30歳以上の方はお世話になった人も多いだろう。2015年9月24日号で休刊して、その後はWEB版に移行するも、2017年3月31日で更新を停止。4月28日にサービス終了を予定しているという。創刊号から記事を書いてきたライターとしては、ちょっと寂しい気持ちだ。

そんなわけで、過去に執筆した『R25』をパラパラと眺めていたら、2007年2月8日号の見本誌に送付状が挟まっていた。そこには、『R25』は25歳以上のオトコの情熱誌」をテーマにした、全く新しい男性週刊誌です。団塊Jr.世代の「変わらなきゃ」という気持ちを勇気づけ、行動を支援するための情報を、毎週提供していきます。と記してある。

『R25』は政治、経済、スポーツなどの時事情勢のレビュー、著名人のインタビュー記事などで構成されており、通常は52ページ。通勤時の電車内でちょうど読みきれる程度のボリュームで、各記事も一駅分ほどのコンパクトさにまとめる方針がとられていた。当時は「これがタダなの!?」と驚かれるだけのクオリティだった。

最盛期の発行部数は60万部(首都圏)。それでも数が足りないほど、その人気は凄まじかった。電車のなかでは『R25』を読んでいる人がたくさんいたものだ。羽田空港に巨大ラックがあり、発行日の木曜日にも関わらず、夕方の便で戻ると、すでにスッカラカンということもあった。ライターをしていて、知り合いから「記事、読んだよ!」と言われることも多かった。

僕が書いていたのは、1/2ページのレビュー記事だ。手元にあるのは20冊だが、誤って捨てたことが何回かあるので、25回近く執筆したと思う。4週間だけの期間限定発行第1弾(2004年3月4日号)は、「アテネ五輪の男子マラソン代表争い」について書いた。陸上競技ネタが大半とはいえ、ときには他のスポーツも取材した。名和秋ちゃんからボウリングを教わり、ガールズケイリンの選手とバンクで競争したこともある。上京して間もなかったボクシングの江藤三兄弟にも会いに行った。

『R25』の編集スタッフは大半が外部(編プロやフリーランス)の人間で、スポーツ担当はT氏とS氏(はじめはT氏ひとりだったが、多忙なためS氏と隔週で担当することになった)だった。週に1度の編集会議には、10本近くネタだしをしないといけないらしく、そのあたりは週刊誌の契約記者に似ている。

で、編集会議で選ばれたネタを各分野の担当者が、僕らライターに依頼するという流れだった。スポーツは人気コンテンツということで、毎号2~4本が採用されていた。

気になる原稿料は、レビュー記事1本が18,000円だった。

文字数は本文が825w=19w×44L(最初の3Lは15w)と決まっていて、文末にはライターの名前が( )で入る。ランキングと写真のキャプションが約80w(それぞれ41w×2L)。見出しの文字数もカッチリ決まっている。

トータルの文字数は約1000w。ギャラは原稿用紙1枚(400w)換算でいうと、約7,200円となかなか高額だが、かなり面倒な仕事だった。というのも、編集部側のリクエストがしっかり入るからだ。

編集部から依頼時にもらうサマリーとリクエストだけで、文字数は800wほどもあった。リクエストにまともに答えていると、文字数は2000wを超えてしまう。「書く」作業ではなく、文字数に合わせるために「削る」作業が大変だった。〝遊び部分〟がほとんどないため、書き手としては、おもしろみもあまりなかった。

しかも、原稿料はリクルートに「請求書」を送らないといけなかったので、それも面倒だった。10万円なら忘れないけど、18,000円だと、日々の生活で忘れてしまいがち。「請求書」をすべて送ったかどうかは不明だ(笑)。

だからといって書くのが嫌だったわけではない。イケイケだった時代は、『R25』に執筆していることが、ライターとして誇りに感じられたからだ

レビュー記事は通常17~18本あったものの、2009年8月6日号ではレビューが13本しか入っていない。そして、8/13~9/3まで発行をお休みさせていただきます。と書いてあった。その直後からなのかは分からないが、終盤は紙質も明らかに安っぽくなり、ペラペラ度が加速した。手元にある最後の1冊(2013年8月1日号)はレビュー記事が10本しかない。

毎週木曜日発行が、2009年10月1日号から第1・3木曜日発行になり、知らなかったが、2015年から休刊までは月刊化(第4木曜日発行)されていたらしい。かつてのように広告が入らなくなり、内容も薄くなってきて、縮小化というのが廃刊までの流れだろう。何しろ、スマホがあれば、暇つぶしができてしまう時代だ。情報はタダが当たり前で、ゴミは残らない方がいい。

創刊に合わせてウェブサイト『R25.jp』もオープンして、本誌の記事を転載していた。2008年からは、独自記事が投入されたものの、原稿料は本誌と比べるとかなり低かった。サイトとしても、『東洋経済オンライン』など大手ビジネス系サイトほどうまく展開できなかったようだ。

東京に来て、22回目の春を迎えようとしている。その間に電車のなかの景色はずいぶんと変化した。20年前は本を読んでいる人が結構いたと思う。10年前はフリーペーパーの『R25』が席巻して、近年はスマホだ。

「活字」を読む人が極端に減少したわけではなく、ライフスタイルの変化が、出版業界に大きな影響を及ぼしている。出版業界はどうなっていくのか。ひとりの書き手としては、希望よりも不安の方が大きいかな。

今後も「スポーツライターの現実」と「ライターの錬金術」を中心に書いていく予定です。BLOG 『酒井政人のスポーツライターとして生きていく。』 もヨロシクお願いいたします!

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