村上春樹のパラレル・リアリティ(NEW YORKERインタビュー翻訳)

Haruki Murakami on Parallel Realities
By Deborah Treisman
村上春樹のパラレル・リアリティ

原文
https://www.newyorker.com/books/this-week-in-fiction/haruki-murakami-2018-09-03

NEW YORKERに掲載された村上春樹さんのインタビュー記事の翻訳です。
「騎士団殺し」のエピソードが短編として翻訳され、NEW YORKERに掲載されたことを受けてのインタビューです。

(ニューヨーカー)
今週号のあなたの作品「風穴」は、これから発売される小説「騎士団殺し」からの抜粋です。小説の後半で、語り手は20年経った成人となっても、未だに死んだ妹の記憶に取りつかれています。
妹の喪失は、なぜ彼にとってそこまでの傷となっているのでしょうか?

(村上)
感情的な傷には3つのタイプがあります。直ぐに癒える傷、癒えるのに長い時間がかかる傷、そして死ぬまで残る傷です。
物語の重要な役割のひとつは、可能なかぎり深く、可能な限り詳細に、その残っている傷を探ることだと思います。なぜならそれらの傷は、良かれ悪しかれ、人の一生を定義し、形作るものだから。そして物語は、それが効果的な物語であれば、傷の居場所を正確に示し、その領域を定義し(傷ついた人は、それが存在することに気づいていないこともしばしばあります)、そしてそれを癒すために働きかけることができます。

(ニューヨーカー)
富士山近くの風穴に入っていく瞬間は、物語でも最も劇的な瞬間です。
なぜその場所を選んだのですか?

(村上)
ぼくは風穴に魅せられてきました。世界中を旅する中で多くの風穴を訪れてきました。富士山の風穴もその中のひとつです。

(ニューヨーカー)
語り手の妹コミは、「不思議の国のアリス」の登場人物は本当に存在すると言います。物語、そして小説を通してのテーマは、現実と非現実の間の不明瞭な領域です。実際、それはあなたの多くの作品のテーマとも言えます。
この考えに立ち返り続けるのは何故でしょう?

(村上)
同じ質問をぼく自身に問いかけています。
ぼくが小説を書くとき、現実と非現実とは自然に混合していきます。そういった計画に沿って執筆しているのではありません。でも、ぼくが現実を現実的に書こうとするほど、非現実がいつも現れてくるのです。
ぼくにとって小説とはパーティのようなものです。参加したい人は誰だって参加できるし、離席したい人はいつでも席を立つことができます。
小説はその活動力をそのような自由の感覚から得ていると思うのです。

(ニューヨーカー)
コミが、言わばウサギの穴に降りていき、完璧に球形の隠れた空間を発見します。この空間は象徴的な意味があるのですか?あるいは彼女は実際に別世界に行ってしまったのですか?

(村上)
ぼくの基本的な世界観は、ぼくらが住んでいる世界(それはぼくら全員にとって親しみのある世界です)のすぐ隣には、ぼくらが何も知らない、見慣れない世界が同時的に存在しているというものです。その世界の構造、そしてその意味は、言葉で説明することができません。
でもそれがそこにあるということは事実です。そして時として、ぼくらは偶然にその姿を垣間見ることがあります。雷の閃光がぼくらの周囲を瞬間的に照らすように。

(ニューヨーカー)
「不思議の国のアリス」は、小説のその他の部分にとっても基準点となっていましたか?あなたは、コミ同様、ルイス・キャロルに夢中になっているのですか?

(村上)
ルイス・キャロルに夢中にならなかった子どもがいるでしょうか?
子どもは彼に引き寄せられるのです。なぜなら彼が描く世界は完璧に自己充足的で、平行的な現実だからです。それは説明を必要としません。子どもはただそれを経験するのです。

(ニューヨーカー)
小説の中にはその他の作品からの反響があります。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」からフィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」や「青髭」まで。
あなたは執筆中に他の作品にインスパイアされることがよくあるのですか?

(村上)
この小説の元々のインスピレーションは、江戸後期の物語集の中の一つ「春雨物語」からきています。特に蘇ったミイラについての話です。長い間、その物語をフルサイズの小説に拡張することを考えていました。「グレート・ギャッツビー」へのオマージュとなるものも常々書いてみたいと思っていました。

(ニューヨーカー)
「騎士団殺し」は、これまでの作品からの新しい試みですか、それとも延長戦上にあるものですか?

(村上)
「騎士団殺し」は、久しぶりに書いた純粋な一人称の小説です。実際、ぼくがとても強く感じたのは、このやり方で書くことをいかに求めていたかということです。この本を書くことでとても充実した時間を過ごすことができました。丹念に全ての詳細を詰めていくことは、存分に楽しいプロセスでした。


※個人の趣味の範囲の翻訳です。念のためニューヨーカー誌に許可を問合せ中です。NGの連絡がきたら削除します。

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