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裏原宿をきっかけにまちに興味を持った話

高校時代に興味をもった裏原宿のこと

高校生だった頃(1990年代中頃)、ファッション誌でよく取り上げられていた裏原宿界隈に、強い興味と憧れを持っていた。服飾専門学校を出たくらいの自分よりちょっとだけ上の世代の若者たちが中心になり、でもって、彼らの友人同士で盛り上がっている感じが次第にムーブメントとなって、結果的に裏原宿エリアの認知度や賑わいにつながっていく感じに。

当時、その中心にいたのは藤原ヒロシや、NIGO、ジョニオ(undercover)らで、もちろん彼らに街をつくるという気はなかったのだろうけど、自分もそんなことに関われたら面白いだろうなーとおぼろげに思っていた。でもその興味は、あまり言語化されず、将来の仕事感ともリンクしないまま大学に入った。

で、大学に入って商業エリアの変わりゆくさまに興味を持った

大学に入る前くらいまでは、まだ周囲には「建築家になりたい」と言い続けていたわけだが、入学してしばらく経ったら、建築に対する興味はそれほどではないことに気付いてしまった。

そもそも、建築家になりたいというのも、なにやらクリエイティブなものに対する漠然とした憧れと、理系男子がやりたくもない受験勉強をする動機づけ(理系学部のなかで唯一クリエイティブな雰囲気があった)との折り合いを無理やりつけるという、消去法的な選択だったのだと思う。

代わりに、大学入学後に夢中になったのは、高校時代から興味を持っていた古着とか、ファッションだった。時間だけはあったので、東急文化会館(現在のヒカリエ)の屋上で毎週開催されていたフリーマーケットや、代々木公園で月1回ほど開催されていたフリーマーケットに足繁く通った。なにか掘り出し物を探しに行くというよりは、個人売買で買った古着をフリーマーケットで売ったり、そこでできた古着コミュニティの仲間と交流することを楽しんでいた。

土日はフリーマーケットに通い、平日は友人と古着屋を巡って掘り出し物を探すのが日常だった。なので、なんだかんだ週に一度は原宿周辺に行っては、雑誌で見ていた裏原宿の萌芽期のムーブメントが、いわゆるキャズムを超えて何やら大きな資本を動かし、(良くも悪くも)街が大きく変わっていく様を、目の当たりにしたのである。

矢部直人, 「『裏原宿』におけるアパレル小売店集積の形成とその生産体制の特徴」日本地理学会, 地理学評論 Series A,  85巻4号, pp.301-323, 2012 年7月
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj/85/4/85_301/_article/-char/ja/

そして、大学4年生になって、研究室に所属したことを機に、裏原宿で起きていたような、商業エリアが“広域集客力”を持つに至るメカニズムみたいなものを知りたいと思った。建築に対する興味を失い、たまたま流れ着いた社会工学科は、都市計画やまちづくりを含んだ学科で、かつて持った自分の興味と初めてリンクしたわけである。

所属した渡邉貴介研究室は、いわゆる都市計画系の研究室で、メディアから見た都市の変容をテーマにした研究も多かった。ただ、すでに当時、身近な先輩(他の研究室)が裏原宿をテーマにした論文を執筆していたこともあって、別の切り口を探すことに。

宇佐美卓, 杉田早苗, 土肥真人, 「来街者行動圏域と空間の選好から見た街の魅力の構造に関する研究」日本造園学会, ランドスケープ研究, 63巻5 号, pp.809-814, 1999年3月
http://www.dohi-lab.arch.titech.ac.jp/theses/zgakkai/2000_1.pdf

裏原宿を見て感じた自分の興味を言い換えると、次の2つを明らかにすることだった。

① 商業エリアが広域集客力を有する過程にどのようなメカニズムがあったのか?
② その過程において人的なネットワークがどのような影響を及ぼしたのか?

自分の博士論文は、高校生の頃に出会った裏原宿がきっかけとなり、研究室に所属した1999年にスタートした。そう、この物語は四半世紀の時を超えて、完結したのである(なにやら感動ストーリーっぽく)。

(もみやま)


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