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足摺七不思議的に問う。

居合道をとは、なにか?

居合道とは、「どう転んでも事態を好転させる能力」の研鑽です。


事実は一つですが、人によって立場や環境、視点により解釈や選択は無数にあります。

柳生新陰流の宗家である柳生宗矩に武道の要諦を説いた『不動智神妙論』を与えた澤庵禅師の言葉があります。


「蓋し兵法者は勝負を争わず、強弱に拘らず、一歩を出でず、一歩を退かず、敵我を見ず、我敵を見ず、天地未分陰陽不到の処に徹して直ちに功を得べし


現代語訳すれば、
「武道家は勝負を争わない。強弱を競わない。一歩前に出ることもないし、一歩後に退くこともない。敵は私を見ないし、私も敵を見ない。そうして、天地が未だ分かれず、陰陽の別もない境位において、ただちに果たすべきことを果たす

天地未分陰陽不到という「事態の変化に居合わせて」直ちに「抜刀」して成すべきことを立派に成し遂げる。

「天地未分陰陽不到の処に徹して直ちに功を得べし」これが「居合道」


人間の成熟をもたらす手段として「修行」がある。

武道家ではない宗教家の禅師が、武道家へ武道の要諦を説いても、
反対に武道家が、宗教家へ宗教の要諦を説いても違和感がない。

人間の成熟へ至る、修行過程で得られる境地が同様。

技の上達が宗教の高みにつながり、宗教の智恵が技の探究につながる。
同じ山に登るような、智恵と技に相関関係があると認知されている。

武道も宗教も修行をつうじて、人を成熟させる。
そのように祖先から信仰されています。


おそらく今も「そんなもんだ」と世間的に認められているように思えます。

日本神話に天孫降臨のお話

日本神話に天孫降臨のお話があります。

天照大御神は、孫の瓊々杵命に三種の神器である八咫の鏡・八坂瓊曲玉・草薙剣を授け、豊葦原水穂国を高天原のようにすばらしい国にするため、天降るように命じました。

瓊々杵命は天照大御神さまより、三種の神器とともに高天原の稲穂を授かり、豊葦原水穂国の人々の食物とするように命じられました。

私達の祖先は、この神話を「稲作の起源」として語り継いできました。
神聖な食物の「稲穂」と収穫の時、稲穂(草)を薙ぐ「剣」。

豊穣の祝福をもたらす道具としての剣。
日本刀の神格化されたイメージが、天孫降臨の神話から始まったとすれば、日本刀を用いた武術も宗教と等しく、人を清め高みへ至らせる深い信仰になるのでしょう。

努力は、無駄である


遺伝子行動学と優生学の知見を用いた議論があります。


遺伝子行動学からの視点

遺伝子行動学は、行動や性格が遺伝的要因によってどの程度影響を受けるかを研究する分野です。この分野の研究によると、多くの性格特性や能力は遺伝子によって大きく決定されるとされています。例えば、IQや学業成績、さらには犯罪傾向や精神疾患のリスクも遺伝的な要因が関与しています。

この知見を基にすると、人がどれだけ努力しても、その人の基本的な能力や性格は遺伝子によって既に決まっており、努力によってそれを大きく変えることは難しいと考えられます。つまり、努力しても遺伝子による限界があるため、根本的な変化は期待できないという主張が成り立ちます。


優生学からの視点

優生学は、遺伝子を改良することによって人類の質を向上させようとする考え方です。優生学の視点から見ると、遺伝的な「優劣」は生まれつきのものであり、環境や努力によって大きく変わることはないとされています。

この考えに基づくと、遺伝的に劣った特性を持つ個人がどれだけ努力しても、優れた特性を持つ個人と同等になることは難しいとされます。結果として、努力は遺伝的な限界によって制約されるため、無駄だと見なされることになります。


努力しても無駄

遺伝子行動学と優生学の知見を用いると、人の努力はその人の遺伝的な素質によって大きく制約されているため、基本的な能力や性格を根本的に変えることは難しく、したがって努力は無駄であるとする見解が成立します。
しかし、これは一つの見方であり、他の視点から見ると、人の努力や環境要因が重要な役割を果たすとする見解もあります。
ですが、努力できることも才能であり、遺伝的な素質である。
よって、努力は無駄である。


遺伝決定論的な視点のみを強調することには批判も多いです。
ですが、議論の反論は学術的なものは少なく、倫理的、社会的なものが多いように感じます。

努力は報われる

数少ない学術的な反論
アンディッシュ・ハンセンの著書『運動脳(The Real Happy Pill: Power Up Your Brain by Moving Your Body)』の知見を用いて、「努力は報われる」と反論する。


運動の脳への影響

アンディッシュ・ハンセンは、運動が脳の機能を改善し、精神的および身体的健康を向上させることを詳述しています。運動によって以下のようなポジティブな効果が得られるとされています

1. 神経可塑性の向上
運動は神経細胞の成長や新しい神経回路の形成を促進します。これにより、学習能力や記憶力が向上し、知的パフォーマンスが向上します。

2. 気分の改善
運動はエンドルフィンやセロトニンなどの「幸福ホルモン」を分泌し、ストレスや不安を軽減します。これは努力を継続するためのモチベーションを高める要因となります。

3. 認知機能の向上
運動は注意力や集中力を高める効果があり、複雑な課題の遂行能力が向上します。


努力の実例

これらの運動の効果を考えると、努力が報われる可能性が高い理由を以下のように挙げることができます。

1. 学業や仕事のパフォーマンス向上
定期的な運動を取り入れることで、認知機能や集中力が向上し、より効率的に学習や仕事が進められるようになります。これにより、努力の成果が出やすくなります。

2. 精神的な健康の向上
運動によってストレスや不安が軽減されるため、挫折や困難に対しても前向きに取り組むことができ、努力を続ける意欲が高まります。

3. 持続的なモチベーション
運動によるエンドルフィンの分泌は、継続的な努力を支えるためのモチベーションを維持するのに役立ちます。


具体例

例えば、試験勉強やプロジェクトの準備といった具体的な努力の場面において、運動を取り入れることで、以下のような具体的な成果が期待できます。

試験勉強
運動を取り入れることで集中力が高まり、短期間で効率的に学習が進む。結果として高得点が得られやすくなる。

仕事のプロジェクト
運動によってストレスが軽減され、創造力や問題解決能力が向上。結果としてプロジェクトが成功する可能性が高まる。


努力は、必ず報われる。

アンディッシュ・ハンセンの知見を用いると、運動が脳の機能を高め、精神的な健康を向上させることから、努力は報われるとする見解が支持されます。努力と運動を組み合わせることで、より良い結果が得られる可能性が高まり、個人の成長や成功に寄与することが示されています。

人生は、選択の連続

人生は、価値判断、選択、覚悟の連続です。

「decide」という言葉があります。

「decide」という単語は、決定する、決めるという意味を持っています。
その語源を探ると、ラテン語の「dēcidere」から派生しています。

このラテン語の「dēcidere」は、以下の2つの部分に分解できます。

• 「dē-」:分離、取り去る、下にという意味を持つ接頭辞。
• 「caedere」:切る、打ち倒すという意味を持つ動詞。

「caedere」は、英語の「incision(切開)」や「concise(簡潔な)」などの単語の語源にもなっています。

これらの単語に共通する意味は「切る」や「短くする」です。

「dēcidere」というラテン語は、文字通りには「切り離す」や「切り捨てる」という意味になります。

この意味が転じて、「複数の選択肢や可能性から一つを選び取る」というニュアンスを持つようになり、現代の「決定する、決める」という意味が生まれました。

つまり、「decide」という単語には、選択肢を「切り離して」一つに絞るというイメージが込められています。

足摺七不思議の人の不思議

日々行う居合の稽古は、今あなたがどのような環境、状態に居合わせても、覚悟が決まる運動です。

土佐の高知のあしずりには、土佐の居合を稽古する人達がいます。

居合では、上手(じょうず)を不思議と云います。

止める力が働いているように見えても流れ。流れる力が働いてるように見えても止まる。自在に身体、刀を運用する上手な姿を不思議と感じた言葉です。

足摺岬は、不思議がいっぱいこっぱいです。

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