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#自分にとって大切なこと
足摺七不思議。語られない物語を自身の内面から語らせる物語なのですが。
「語られない物語を自身の内面から語らせる物語なのですが」て、
なんですか?
日常会話にも起こる。語られない文脈。暗黙知。
お互いの言葉には、なっていない伝わり合う意図。
人と人にそれが起こるだけではなく、人が託した物からもそれが起こる。
なぜ、発信者の意図が、受信可能なのか。
知ってか知らずか。蛇口ひねれば水が出る。というような。
人は、そんなもんだという認識で拵えた足摺七不思議が今残ってい
足摺七不思議からつながる白山洞門への道のり。逃げることの大切さ。
足摺七不思議から白山洞門への道のりは、よく「恋愛歩道」としてお伝えします。
白山洞門から足摺七不思議への道のりは、同じ歩道ですが、「愛憎逃げ道」のような「逃げることの大切さ」をお伝えしています。
イザナギさま、イザナミさまの神様の物語は、「国生みの物語」が生活の上での知恵としてよく語られます。
イザナギさま、イザナミさまの神様の「黄泉の国物語」も生活の上での知恵です。
時に「神様も逃げる」
足摺七不思議。亀石の前に。水、川、海、橋、の意味を膨らます。
足摺七不思議、亀石に触れ、ほんとだ、亀だ、亀石だ。亀らしい石だ。と触ってもまだ足りない。七不思議は、驚きから宗教的感動まで、自身の内面を揺さぶる。揺さぶるから、日常生活に役立つ。
亀石は、感動する為に、
水、川、海、橋、になぞらえた意図をたくさん知らないと感動が広がらない。それはもったいない。
水。
老子の有名な言葉。
「上善如水」
「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所
足摺七不思議。亀石の前に。水、川、海、橋、の意味を膨らます。好きな物語を集める。
足摺七不思議。亀石の前に。水、川、海、橋、の意味を膨らます。
好きな物語を集める。
足摺七不思議、亀石に触れた時。驚きから日常生活を彩る感動を与える。
亀石の七不思議は、他の七不思議と違い、
自分が好きだなこの言葉、良いなこの物語。水、川、海、橋、になぞらえた意図を自分で集めることで感動が広る。
どうもそのように出来ている。
「川」のテーマで物語集める。
「方丈記」
方丈記「行く川の流れ」
足摺七不思議。亀石をみるまえに。海。
足摺七不思議の亀石は「謎」。どこにも手がかりがない。
お遍路さん達の話しにも「ほんと亀らしい亀石」としか聞かない。
亀らしいければ、亀らしいほど。すぐれたものほど、想像する余地がない。
選択肢の幅がない。寓話、教訓、伝説が人伝に広がらない。
冷えない冷蔵庫に価値はない。
よく冷える冷蔵庫は、冷蔵庫以外の用途に使う選択肢は無い。
優れたものほど選択肢は無い。
優れてないものほど選択肢は多い。
足摺七不思議。ほんと亀らしい亀石の見る前に。水、川、海、橋のイメージを膨らます。
水、川、海と続けて、橋。
橋は、道が続いて、向こう岸に渡るもの。
道。
踏まれても「瞋恚」せず。
橋。
貴賤みな通す。
一緒に働く人に、脳梗塞で倒れて、脳死に近い昏睡状態から日常生活に戻ったかたがいます。
皆が、病院のベッドで植物人間、昏睡状態の自分に諦めかけた頃。
その人が語るには、橋があって、向こう岸のたもとに亡くなった友人がいて、懐かしい気持ちで「おう」と言って、近くに行くと、友人が「ま
足摺七不思議。「亀石」
ハイ!足摺七不思議。亀石です。
今まで足摺七不思議を巡るなかで、
言葉が心に充電されてますね。
「天狗の鼻」から始まって、
月には、太ったり痩せたりと古来より「巡る」象徴があり、
月輪は、「仏様」象徴がある。
「さだたり」という言葉は、
つまずく。思うようにいかない。時期を逸する。
「時」の象意があり、
平安時代。伊勢物語(現代訳)に
だんだん夜が明けて行くのに、見ると連れてきた女もいな
足摺七不思議。ゆるぎ石。
ハイ!ゆれます。
ハイ!この位置から見てください。
左に子石。右に親石。
ゆれるはずもない。この。「大きな石」が。孝心を持つ者には、ゆれる。
孝心は、善の心。
善が親に向かう時、親孝行となり、孝心と呼ぶ。
動揺の石(ゆるぎの石)
弘法大師当山開山の砌、動揺の石を発見さる。この岩のゆるぎの程度により心の善悪を試す岩と云ふ。
ハイ!この位置から見てください。
左、子石に向かって、右、親石が語っ
足摺七不思議。ゆるぎ石。子供から親へ。親から子供へ。子供から子供へ。
親孝行したい時に親はなし。と、聞きます。
親孝行は、したい時に行うのではない。
善をするか。悪をしない。と同じで、すでにおこなうことを決めている。
後は、どのように行うか。
ゆるぎ石は、まず、子供の立場でもなく、親の立場でもなく、
いったん「親と子供が見える視点」から親子石を見る。
二つの石をよく見ること。親子石の置かれた状況を理解すること。
子供石の事情を想像すること。親石の事情を想像する
足摺七不思議。ゆるぎ石。努力出来る才能が無くても、とりあえずゆらす。
とても動くとおもえない石が、ゆれる。
孝心の強さで、ゆれかたが変わる。
善が親に向くとき孝と呼ぶ。
不動と見える大きな石は、人の善。孝心でゆれる。
「努力と呼ばれる才能」で動くわけでない。
善は、悪は、孝心は、才能とは関わりがない。
うまくいかない時って誰でもありましてね。
天才は、天から才能を与えられているから、
ある日、今まで出来たことが、できなくなると、
どうしてよいかわからない。
秀
足摺七不思議。不増不滅の手洗鉢。
「嫉妬」を受け止めないと「物の怪」になるんですよ。
源氏物語の「六条御息所」や「ハイジ」を知ってる人には伝わるのですが、
「もののけ姫」の映画以降、「不増不滅の手洗鉢」でお説教するご先達様の姿を見なくなりました。
「もののけ」という言葉を使いづらいのでしょうね。
不増不滅の手洗鉢
平安朝の中頃賀登上人とその弟子日円上人が補陀落渡海せんとした時弟子日円上人が先に渡海したので賀登上人は大変悲し
足摺七不思議。ときに、欲望に無自覚でいるとよくないんですよ。不増不滅の手洗鉢
「嫉妬」を受け止めないと「物の怪」になるんですよ。
同じく、「欲望」も受け止めないと「悪霊」になる。
不増不滅の手洗鉢
平安朝の中頃賀登上人とその弟子日円上人が補陀落渡海せんとした時弟子日円上人が先に渡海したので賀登上人は大変悲しみ岩に身を投げ、かけ落ちる涙が不増不滅の水となったと云ふ。
賀登上人の凄いところは、痛くて、苦しい。他者からは、見苦しいと見られるけれども「嫉妬」を受け入れたことです
足摺七不思議。良い言葉は、羽根が生えて飛び回るんですよ。「不増不滅の手洗鉢」
不増不滅の手洗鉢
平安朝の中頃賀登上人とその弟子日円上人が補陀落渡海せんとした時弟子日円上人が先に渡海したので賀登上人は大変悲しみ岩に身を投げ、かけ落ちる涙が不増不滅の水となったと云ふ。
「源氏物語」にて、
六条御息所は、己の髪や衣服から芥子(悪霊を退けるための加持に用いる香)の匂いに、自分が「物の怪」を生じたと自覚する。
賀登上人は、「物の怪」を生じる前に「嫉妬」を自覚する。
しかしながら、
足摺七不思議。「両面一足の天魔」
成功へ向かう行為を行いながら、失敗を望む行為を重ねる。
目標が失敗する事を口に出して、目標に向かう行動を起こす。
目標が失敗する事で、自分の予測が正しいと証明出来たことに悦ぶ。
人は、それが当たり前のように、相反する事柄を矛盾と感じることなく心に持つことが出来る。
これを両面と見て、
一足を
「四神足 」
(仏教研究者中村元さんにおける四神足 を編集したもの)
欲神足 - すぐれた瞑想を得よ