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「花束みたいな恋をした」を観に行った

GWの最終日、どこにも行かず連休を終えるのも悲しいなあ…と思い以前から観に行きたいと思っていた『花束みたいな恋をした』を近くの映画館へ観に行った。1月末に公開された映画なので今さら感があるが、周りの感想を観ていて気になっていた。

<あらすじ>
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。
※出典: オフィシャルページより

麦くんや絹ちゃんを取り巻く環境は自分にとってもリアルなものだったし、舞台の時間軸は少しずれるが小説「明け方の若者たち」にも似た匂いを感じた(2つの物語はともに明大前駅から始まる)。

麦くんは就活をせずにクリエイターとして生きていこうとするが、なかなか結果を出せずに大学卒業後しばらくして一般企業へ就職する。絹ちゃんは大学4年になって就活をするものの圧迫面接でボロボロになり、麦くんから「就活なんてしなくていいよ」と言われフリーターになる。

自分自身、大学生の後半はモラトリアム期間と言って間違いないので麦くんや絹ちゃんの状況がとてもリアルだ。就活をまともにせず、夢見がちで自分はできるんだと思っていた一大学生(過去)の自分としては麦くんの行動や言葉の端々に「自分の過去を持ってこられて、まざまざと見せつけられた感」を感じた。もちろん、それだからこそできた行動(過去)もあって、映画の前半部分は微笑ましいものだった。

後半の麦くんが一般企業に入社して多忙になり絹ちゃんとすれ違っていく姿や『今の目標は、絹ちゃんとの現状維持』という言葉に「どうして、過去の夢や希望をおざなりにしてどんどんと幸せのハードルを下げていってしまうのか」と締め付けられる思いになると同時に、この姿はきっと選ぶ道が違っていたら自分も同じようになっていたのかなと思った。

話は変わるが、昨年から聞いているPodcastで「花束みたいな恋をした」の感想を話している回がある。

この中で印象的なのは、麦くんと絹ちゃんは「記号(コンテンツ)でしか繋がっていない」という話題だ。物語の軸とも言えるが、映画の中ではあらゆるコンテンツの固有名詞が出てくる。このPodcastでは、2人は同じコンテンツの名前を出してお互いが同じものが好きなことを確認し合うことはできる(だからこそ趣味が合い、互いを好きなのではないかと思えた)が、それらのコンテンツに対する感情はおろか普段の生活に対する感情自体も共有し合えているのかは描写から読み取れない。

これを聞いた時に自分は昨年マッチングアプリをやった時のことを思い出した(やはり、という感じだがこのPodcastの後半でもマッチングアプリの話が出てくる)。まさしく、自分がマッチングアプリをやってみて感じた違和感は「記号でしか繋がれない」ことへの虚しさだった。

めちゃくちゃ趣味が合いそうだなと思って会ってみた人でも、表面上の好きな物は語り合えても、深い部分にある「なぜ好きなのか」「どういう感情が浮かぶのか」といった感情の部分は共有し合えない。特に、会った人の中で初めて会ったのに嘘だろ…と思うほど好きなものが一致する人がいたが、今考えてみるとまさしく記号でしか繋がれない麦くんと絹ちゃん状態だったのだろうな…と思い返す(だからこそ付き合うまでには至らなかったのだろう……)。と、同時にそれだけベタな恋愛の展開なんだろうな…とも思う。

たとえその人と付き合えたとして、今の自分じゃない道を選んでいたら、自分は確実に麦くんと同じように夢や希望は置いといて「今の目標は、現状維持」と思ってしまったんだろうなと思う(念の為、その人のことを悪くいうわけではない)。

だから、麦くんのことを客観的に観て、悪く言えない自分もいる。絹ちゃんのように、就職してもどこかで自分と向き合ってまた次へ進むことはできなかったのだろうか……とも思う。

ちょっと思考が追いつかないので、今日はこの辺りに…。この映画を見て自分のモラトリアム期間や恋愛について考えたゴールデンウィークだった。

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