0304森の学校シンポジウム039

note100記事の時間を振り返る

このnoteでどうやら100記事目らしい。2018年7月に始めたこのnote(本当は2018年2月に前のアカウントを始めたが、6月頃にプチ炎上してしまいアカウントを消した)。1年7ヶ月書いてくる中で書く言葉も変わったし、見てる世界も全く変わった。

2018年はじめ、僕は大学に駅伝部を作ろうとしていた。目標は全日本大学駅伝出場。今となっては、諦めてしまったから失敗だったのか、はじめから無謀でしかなかったのか。正直なんとも言えぬ苦い思い出ではあるが、いつか「そんなこともあったね」と笑える日が来るといい。

神屋さんと知り合ったのは前のnoteアカウントで駅伝部を創ることに対する想いを綴っていたからだった。僕のnoteの言葉にネットの向こう側から共感してくれた1人目が神屋さんだった。

ただ、僕の自信のなさ故にネット上での僕に対する揶揄や批判、大学の中で集まったメンバーが次々と自分の元から離れていくという板挟みに耐えきれず諦めてしまった。2018年6月に前のアカウントを削除してから(twitterも消してしまったので)神屋さんと連絡する術を失ってしまった。次のアカウントは7月頃に作ったが、諦めてしまった身としては連絡することもアカウントを知られることも気まずかった。こんな自分を良く思ってくれるはずがない…とも僕は思っていた。

時は過ぎて、2019年4月。オトバンク女子陸上部のメンバーが中心となってnoteランニング部を始めると噂を聞き参加を決めた。

ついに須河さんに会えるという期待はあったものの、当日の朝twitterを見ていると神屋さんが参加することを知り、1年前に僕が突然アカウントを削除して姿を消したきりだったので「なんとお詫びしたらいいか……」と胃がキリキリ痛んだ。

ただ、イベントが終わったあとに神屋さんから声をかけてくださり、この1年間逃げてしまって神屋さんへ何一つお礼も謝罪もできなかったことをお詫びすることができた。

そういう意味では、1年間心の中にあったわだかまりを消してくれたのもnoteランニング部という場だった。

言葉を綴ることから逃げたいと思ったこともある。「言葉なんて」と思った時もある。けれども、言葉を綴ってきたからこそ救われたのかもしれない。

自分の人生にどう向き合ったらいいんだ…と悩み、踠く気持ちをnoteに記していたからRuntripという環境、世界に出会うことができた。

また、創設当時から共感していたオトバンク女子陸上部の人たちに出会うこともできた。

noteを書き続けてきたからこそ、cotreeのひらやまさんとも知り合えた(CNOの称号ありがとうございます…)。

1年前、冬のOTTをきっかけに西原さんを知り遠く遠くの存在だと思っていたが、4月のnoteランニング部で出会うとついには「西原さんが将来を心配する若者BEST3」にノミネートされてしまった。

ちなみに、2月1日のSAJ2020にRuntrip代表の大森さんが登壇するのですが、西原さん企画していただきありがとうございます。

あとは、同い年で同じような境遇のもりおちゃんに出会えたのも大きい。

2018年7月から始めたこのnoteのアカウントも1年7ヶ月で100記事に達した。ちなみに仙台にいた2019年3月末までに書いた記事の本数は51。東京に来てから書いた記事はこれで49になる。

3月末、仙台を出るあたりに「note100本目を書くころ自分はどうなっているだろう…。」と思っていた。

同じ50本でも、前者は踠き立ち直るまでの50本だった。後者の50本は自分が楽しいものに向かって走り出すためだった。次の100本は走りながら思考し続けるnoteにしたい。

このnoteの1記事目に僕は「ドラマな人生」と書いた。

当時は、向き合うのが嫌で嫌で書いた。けれども、このタイトルは僕にとって大切なものかもしれない。


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