前夜|#1|小説「主役」

人生で初めて渋谷に来たのはいつのことだっただろう。スクランブル交差点を渡り切り、公園通りの方に続く人混みを歩きながら真琴はふとそんなことをぼんやり思う。28歳、東京に住んで5年目。今でこそオフィスのある渋谷へほぼ毎日のように来るが、ときどき「自分、今東京にいるんだ」と不思議な感情に包まれる。10年前、東北の沿岸部の街で「震災復興」の渦中にいた高校生は今、構造物に囲まれた大都会を闊歩する。

***

2013年の年明け、高校2年生。自宅で進路希望調査の紙を机に置くと、斎藤真琴と名前を書いたのちペンが進まなくなった。春が来れば3年生になるのは分かっているけれど、自分はどこに進みたいのだろうか。進む道はあるのだろうか。

毎日、息継ぐ間もなく勉強をして、部活をして、家に帰ってきて夕飯を食べると寝るような時間になる。こんなに忙しいのに、目の前の生活は日々堂々巡りを続けている。成績を上げるため、強くなるため、大人からはもっともらしい言葉をかけられるけれど、この螺旋階段が一体どこに続いているのか自分には見えなかった。

痺れを切らしてリビングに行くと、東日本大震災からもうすぐ2年を迎える被災地の人々を映したドキュメンタリー番組が放送されていた。その中には、津波で家族を失ったという高校生が壮絶な被災体験と未来への希望について語っていた。

分かるようで、自分には分からない。津波を見たわけでも、家族を失くしたわけでもない。石巻の内陸側にある隣町に住む真琴は、実家が半壊したり、ライフラインが数週間止まったもののそれ以上の経験ではなかった。石巻にあるこの高校に進路を絞ったのは中学3年夏。震災が東北の沿岸部を変えたのは、真琴が高校入試を受験した2日後のことだった。地震のあと春休みは一向に終わらず、一体自分たちは高校に入れるのだろうかと心配になったが、4月の終わりになってようやく入学式が行われた。初めて瓦礫が積み重なる石巻の街並みを母親が運転する車から眺めたとき、どう思っていいのか分からなかった。

横でテレビを見る母は大変だったね、と独り言のように話し始める。テレビの向こうの同い年くらいだと思われる高校生は、自分が被災地のためになるようなことをしたいと希望を語る姿に母は若いのにしっかりしていると感動した様子だった。何も感じない自分がおかしいのだろうか。この2年間、毎日石巻へ通っているが、被災地のためになることがどういうことかわからずにいる。

両親は将来について話すたび、真琴の好きなように進路を選べばいいと言ってくれるけれど、その「好きなよう」が自分が生きる暗闇には落ちていない。同じ石巻で生きていながら、テレビの向こうで涙ぐむ高校生のような人生は自分の中になかった。

自分にも夢といえるものはあった。中学生の頃、友達に勧められて聴き始めてハマったラジオ番組で仙台の放送局のアナウンサーが話していると分かり、いつしかアナウンサーになりたいと思うようになった。自宅の部屋で勉強をするとき、机の傍らにはいつもラジオを流していた。テスト勉強に明け暮れた頃も、周りから疎外される感覚を持ち学校へ行くのを何度も諦めようとした日々もラジオから流れてくる声に救われた。そして、その話題を友達と話すのが毎日の楽しみで真琴は中学時代を過ごした。

真琴がこの高校へ進学したいと決めたのも、将来アナウンサーになるなら偏差値の高い大学へ行くために進学校に通おうと決めたからだった。卒業までに思い描いた高校生活は目標に向かって順調に進んでいくはずだと信じていた。

しかし、いざ高校へ入ってみると予想していたよりも周りの学力に付いていくのが精いっぱいで中学生の頃目標にしていた大学へ進学するのは夢のまた夢のような有り様になった。加えて、陸上部に入り毎日練習に明け暮れた真琴。JR石巻線が震災によって不通になり、しばらくはバスで通っていたため、帰宅するのはいつも20時を過ぎる頃。夜ごはんを食べて、勉強をするともう寝る時間になる。

震災からまもなく2年が経つ。分からないながらに、政治も世の中も、そしてこの街自体が大きく動いているはずなのに、自分は勉強と走ることと家の3つしか知らずに時間は過ぎていく。多感な10代を生きているはずなのに、自分の見える世界はモノクロのまま。どこに向かえばいいのかも分からず、ひたすらにベルトの上を走らされる。回し車を走り続けるねずみのように、もはや自分の意思で走っているのか、走らされているのか境目が見えなくなる。中学生の頃に抱いた、アナウンサーになりたいという夢を持ち続ける余白はなくなろうとしていた。

「真琴、勉強もいいけれど身体壊さないようにね」と母が呟く。このところの自分の浮かばない表情を見ていて母なりに感じるところがあるのだろう。うん、と生返事をするが、どうして勉強頑張りなさいと言ってくれないのだろうと心の中で毒づく。勉強をしなければ結果を出せないのに、無理するなと言われても甘いのではないか。天邪鬼な性格がつい親に対しては出てしまう。

何にも惑わされず、中学生のときみたいに真剣に頑張れたらいいのに。

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東日本大震災から2年後の2013年、高校3年生の斎藤真琴は高校生たちが石巻の実情を発信するネットラジオ番組を作り、“被災地を元気づける10…

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