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後戻りできない、もどかしい時間

きのうで2020年の半分が終わった。僕の身体はというと、相変わらず眩暈が続いている。眩暈があるけど楽な日もあれば、グルグルと回り絶望感たっぷりの日もやってくる。まあ、ぼちぼちという感じ。

それでも朝に散歩できるようになったし、オンライン授業も起きて聞けるくらいにはなり、こうして文章も書けるまでになったので少し元気になっているのだろう。

6月はほとんど動くことができず、絶望的に体調が悪い日は布団にずっと籠っている時もあった。もうずっと治らないのかなあ……とネガティブの闇へとずぶずぶと沈んでいくような日はたくさんあった。

仕事を休み始めた頃は「やるべきことはたくさんあるのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。すぐに戻りたいのに。」と元通りになることを望んでいた。

しかし、立ち止まる時間が長くなるにつれて、すぐに戻ることは無理かもしれないな…と悟った。また、自分が元に戻ることはもうできないだろうとも思う。

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先日実家に帰ったとき母親に「どう、いま苦しい?」と聞かれた。僕は「うん、苦しい。でも、これはこれで大事な時間だと思う」と答えた。

立ち止まったからこそ、シンプルに何を欲しているのか、どう生きていきたいのか、自分の心や身体と向き合うことができた。最初は身体が辛くて何もしたくない、何も考えられない…と思っていたが、ここ1週間ほど少しずつ考える余裕が出てきてぼんやりだけど自分に向き合いたくなった。

cotreeのひらやまさんのnoteにこんな一節があった。

ただその無意味で無目的に思える日々も、積み重なって連なると、自分なりの意味や目的を帯びてくる。人の一生の不思議さが、そこにある。

だからどうか、つらく困難だった日々を消さないでほしい。無意味で無目的な止まった時間を過ごす自分を許してあげてほしい。(「止まった時間と透明な回転扉」より)

ひらやまさんが書いている内容ほどではないけど、立ち止まる時間を過ごしてみて、分かるような気がする。無意味かもしれない、無目的かもしれない。自分の傍を追い越していく人たち(という表現が最適かは分からないが)を見るのが辛いときもあるけど、今ここにいる自分を許したい。そして、この時間を過ごさなければきっとやってこなかった未来がこの先にはあるような気がしている。

正直、今すべてのことに「前を向こう」と思うのは辛い。前を向くことに疲れている。だけど、前を向く代わりに、できるかぎり今の自分に寄り添いたい。それしか今の僕にはできないし、それが僕のできる全てだ。

こうして今noteを書いているのも自分の気持ちに寄り添うことだと思うし、自分の現在地を周りへ発していくことのひとつだと思う。それが僕なりのつながり続ける手段だ。

最後に、ひらやまさんのnoteからすごく刺さった部分があったので、抜粋して終わりたい。

自分にとっての本当の絶望は、希望を失うことではなく、絶望したことに気づけないことだった。(「止まった時間と透明な回転扉」より)

ナウシカの漫画版でも同じようなセリフがあったような気がしたが、違っただろうか…。

感情こそ失っていないが、僕もこの1ヶ月でいろんなことがあった。“絶望したことに気づけない”というのは、どんな人にも言えることかもしれない。絶望なんかしていないと思っていても、人はいとも簡単に自己を滅ぼして闇へと落ちてしまうのかもしれない。

少しずつ回復してきている今、だからこそ、人に寄り添って生きたい。

さ、どんな2020年後半戦を過ごすのだろうか。

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