ラジオにメールを送ってたあの頃

久しぶりにradikoでTBC東北放送のラジオを聴いている。

普段は作業中にしてもランニングの時にしてもSpotifyで音楽を聴く方が多いし、暇な時にしてもYouTubeやamazon primeで見たいものを見るというのがほとんど。もっとも、時間があってもなくても…Twitterのタイムラインを眺めている。すっかりインターネットなしには生きていけない人間になってしまった今日この頃。

ただ、そんな文明の恩恵にあずかって生きる僕も時々ラジオを聴きたくなる。自分の嗜好で固められ、アルゴリズムによって勧められたコンテンツを見聞きするのではなく、ふと今流れている時間を誰かと共有したくなる時がある。

別に番組へメールを送るわけでもないし、自分が喋るわけでもないけど、誰かと繋がっている安心感がある。誰かと繋がるならTwitterの方がいいし、時間を意識するという意味ではテレビも同じなのだけど、ラジオならではの繋がる安心感があるような気がしている。

なぜ唐突にラジオの話をしているかというと、昔ラジオに浸った頃の話をしたくなった。すっかり「ツイ廃」になってしまった僕だけど、昔々ラジオにメールを送っていた時代があった。

初めて自分の世界が初めて広がったような気がしたのはインターネットではなくラジオだった。中学生の頃、時間があればTBCラジオを聴いていた。中学2年の頃、プロ野球中継のない秋冬に放送していた番組にほぼ毎回メッセージを投稿していた。当時、ラジオを聴くことに夢中になってTBCのアナウンサーの人たちの名前はほぼ覚えていたし、好きが高じて職場体験でTBC東北放送に行ったこともあった。

宮城の人しか通じない話題(いや、宮城の人でも通じるのだろうか…)だけど、テレビで放送していた朝のローカル情報番組「ウォッチンみやぎ」のMCをしてた佐々木淳吾アナと安東理紗アナに会えて、いろいろと質問できたのは嬉しかった。そのあと一緒に職場体験に行った人たちと当時放送していた「カラーズ」というラジオ番組に出て藤沢智子アナと話せたのは、こんなすごい人と話せるのか……と驚いたものだった(きっとこういう類の喜びを中2にして感じたのは、僕たちだけでしかないはず…)。

その後も、番組に投稿しつづけた時期に守屋周アナや林朝子アナが出ていた番組で電話出演したりなど、いろいろあった。

ハマって聴いていた頃の番組が10年以上経った今でも続いているパターンもあるし、番組は変わっていても知ってるアナウンサーが話していることが多い。変わらずに居てくれることも安心感のひとつかもしれない。

久々に聴いていて、あの頃よくメールを出していたリスナーさんは最近どうしているんだろうと思った。当時、イベントなどで実際に話したことのある方もいれば、ラジオネームだけしか知らない人もいる(実際、こちらの方が多い)。Twitterやブログで発見できて、今も変わらずリスナーという人もいた。

僕と一緒で当時アナウンサーになりたいと言っていた同世代のリスナーの人は今頃どうしてるのだろうか。その後、どんな人生を送っているのだろう。

ラジオネームでネットを調べてもネットでは何も出てこなかったので知る由もない。でも、気になる……。

そんなことを考えながらラジオを聴いていたら、なんと知り合いの女の子が出てきた午前中だった。そんな9月の終わり。

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