仙台にまつわる、10年くらい前の記憶
最近、仙台で過ごした学生時代のことをよく思い出す。
長いもので2014年〜2021年まで7年間大学に在籍したのだけど、とくに思い出すのは2014年〜2016年くらいの3年間。でも、当時参画していたプロジェクトや自分たちで立ち上げた活動のことではない。もっと日常の一瞬を切り取った、瞬間的に現れるシーンを思い出す。ヒトコマの写真のように。
正確にいえば、大学1年〜3年の時期に重なるこの頃は学外での活動に没頭して、よくも悪くも意識が高かったころ。日常の瞬間的なシーンといっても、やはり思い出すのは一緒に活動を行っていた友人との会話やそこで見た景色だ。
たとえば、仙台駅のペデストリアンデッキ。大学1年生の冬から大学2年生の秋にかけて僕は、友人や知り合いとともに塾(一般的な入試対策ではなく、AO入試などの小論文や面接対策)の一拠点の立ち上げに関わっていた。広瀬通りにある雑居ビルの一室で、塾としての授業だけでなく、仙台で活躍する大人をゲストスピーカーとして呼び高校生を前に話してもらうなどキャリア教育的なイベントも開いた。
大学の授業が終わると仙台駅前まで出て、そのビルへ行く。そして21時過ぎまでほぼ毎日いる。そんな生活の1年だった。
毎日、広瀬通りからアエルとパルコの前を通ってペデストリアンデッキに辿り着く。梅雨の時期は路面が濡れていて転びそうになったり、秋になれば澄んだ青い空の下に建つ茶色の駅舎が映えて見えたり。あるいは、夜に呑んだあと友人とペデストリアンデッキを歩きながら改札までの数分を楽しんだ。
いま思うと、何者にもなれていない自分たちが頭の中にある“崇高なアイデア”を披露し合える唯一の時間だったのかもしれない。仙台駅前のデッキには、ベンチがたくさんある。東京のように人でいっぱいでもない。田舎の駅のように閑古鳥が鳴くわけでもない。人がほどよく行き交い、流れていく。そんな緩やかさこそが、20歳になるかどうかの自分たちを包んでくれた。
あるいは、アーケードをだいぶ歩いた先にある「キジトラ珈琲舎」の焼きりんごやカレー。レコードが所狭しと並んだ店内では、いつもジャズが流れている。仲の良い友人たちと、時々この店に行っていた。
なぜ覚えているかといえば、カレーが美味しかったからでもあるのだが、友人たちと集まる楽しい様子を思い出すときに瞬間的にその景色が立ち現れるからだ。
恋バナから人生、自分たちの活動、石巻や南三陸、気仙沼のこと。振れ幅の広い、そんな会話たちがあのテーブルに詰まっていた。
一時はこの頃の自分の記憶を消したいと思ったこともある。その後、自分自身はかなり迷走した。
けれど、どういうわけか記憶のなかにとどまり続ける。
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もう10年前。過ぎていった時間。今は誰も目に留めない記憶だからこそ、懐古だと思われても文章に残さなければいけないのではないかと思うようになった。それが自分のものだから。
関東での生活が合計で5年近くになる今でさえ、この頃の記憶は鮮明に残っている。
最近ぼんやりと、いま東北で何かできないだろうか……と想いを馳せる自分がいる。あの頃は何もできなかったけれど、10年経って文章が書けるようになり、編集者として情報を届けるなど、できることが増えた。
30代を目前にして、これからどう生きていくのか考えたときに、このまま関東でだけ生きるのも楽しいけれど浮遊している感覚がある。どこか見ているものに現実味のなさが漂う。たとえば、あらゆる情報へすぐにアクセスできるのは嬉しい。欲しいものがほとんど揃う。映画や本、あらゆるものを楽しめる。
でも、それだけでいいのか。自分が東北で見てきたものは過去の闇に消し去っていいのか。
関東にいながら、何かしら東北に関わることができないだろうか。頭の片隅でそんなことを考える。
どこかに、あの頃の記憶があるから。自分が過ごした街と、何もできなかったという記憶。